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ちりぬるをわか

日々のちょっとした事。で、いろんなことがあったりなかったり。

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このところどんどん蒸し暑くなってきてます。

昨夜は熱帯夜というほど気温は上がっていないのですが、蒸し暑さに負けてなかなか寝つけませんでした。
日付が変わって1時を過ぎたなあというところまで記憶にあるのですが・・・。

体が追いついていないのか、気候がぶれすぎてるのかわかりません。
毎日軽く運動ストレッチをしていて、汗もでるし、暑熱順化は出来てきてるとは思っていたんですが、間に合ってないのかな?
それに加えて夜間にトイレに起きるので、元々睡眠が足りていないのに重なっております。

今年は室内用のエアコンで、窓に取り付けなくても良い据え置き型のものを買おうかと思ったりしてます。湿気とか取れるのならそれだけでも十分なのです。
まだ、どんな製品でどれくらいのお値段なのか、電気代も気になりますし、わからないのでそれ次第ということになると思いますが。

お手頃な値段のものがあるといいなあ。
う〜ん、なんとか夏を乗り切らないとねえ。

昨年はなんとか乗り切った?と思ってもいつまでも夏のままで、その後もかなりの間、体に負担がかかったままでしたからねえ。
今年は少しでも体を労らないと、とは思ってるんです。

ということで、今日も無茶苦茶眠いのでダラダラと過ごしたいと思います。

では良い一日になりますよう。
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昨夕、ぼんやりと動画を眺めていたらおすすめに「月まで3キロ」の動画が出ていた。

これは伊予原新の小説「月まで3キロ」に出てくる道路標識の場所へ行ってみるという類いの動画だが、珍しく鉄道とバスで行くのでつい見てしまった。

浜松で遠州鉄道に乗り西鹿島駅下車。そのあとバスに乗り換え「伊砂入り口」バス停から少し歩くと標識が見えてくる。

動画ではバスを降りると右手に左手に天竜川が見えていて、小説を読んでイメージした場所とは少し違う感じだったが、標識を見てあ〜、これだなあ、と思ってしまった。以前ここで国体のボート競技が行われたとかで、結構豊かな水量の大きな川が映っていた。

さて、この「月へ行ってみる」動画は他にも色々ある。件の小説を読んだ後で見たのだが、これまでは車やバイクで行って道路標識を見る動画だったけど、これは鉄道とバスの利用で周辺も少し歩いて回っていた。
何より引っかかったのが西鹿島駅からのバス。

このバス、浜松市の北部にある水窪町と西鹿島駅を結んでいる交通網なのだ。

水窪町はもう何年も前から一度行ってみようと考えている場所。山間の小さな町で特に人目を引くような観光地ではない。
だが、もう何年も前に手に入れた古い本にこの地名が書かれおりぜひ行って見てみたいと頭の中にインプットしてある。
そんな地名がこの動画に出てきたので気にならない訳がない(笑)。

その町と「月」が同じ県道上にあるというのは初めて知った。もし水窪に行く時には、月まで3キロにもぜひ寄ろうと思ったのだった。

まあ、バスの本数は一日4本という場所なので、計画的に行かないとその場で立ち往生何てこともありそうなので、行くときはよく考えていきましょ。

今朝は薄曇りで、時折日差しが出ている。
今日も蒸し暑い一日になりそうだ。

では良い一日になりますよう。
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「新世界より」上下巻 貴志祐介  2008年 講談社

内容紹介:1000年後の日本で、注連縄に囲まれた神栖六十六町に住んでいる子供達の物語。町では人々が呪力という超常的な力を持ち、ハダカネズミという種を使役して暮らしている。
12歳の渡辺早季とその仲間が町の外でミノシロモドキという不思議な生き物と出会い、そこからハダカネズミと戦いに巻き込まれて行く中で、1000年の間に何が起こったのかが徐々にわかっていくという展開。

物語は早季が12歳から始まって26歳で終わる。その間に6つの章があり、後半(下巻)の3章は26歳時点になる。その出来事を早季が後日にまとめたものというのがこの本の構成になっている。

ジャンルで言えばSFになるそうだ。極めて日本的なSFで、日本の文化や歴史の名残が物語のあちらこちらに散りばめられている。仏教というか密教的な真言だったり、注連縄は神道的な名残だったり、歴史的には昔の人物の話が出てきたり。

個人的な感想:さくさく読み進められると思うが、ところどころに出てくる文章がとても気になってしまった。後日にまとめた文章だからなのか、随所で「その時は大変なことになるとは思わなかったのだ」と言った記述が出てくる。それがくどいなあと思ってしまった。
加えて、下巻に出てくる生き物の名前の羅列や描写が細かすぎるのはどうなんだろう。これも少し辟易した。

早季は、過去の人間がどんなに酷かったのだろうと、色々なところで考えてしまう。戦争や人を殺すための武器や、言葉遣いまでにすらそれを感じてしまうのだ。例えば「赤子の手を捻る」ってそんなことを口にするなんて考えられない」といったもの。
それも結構頻繁に出てくるんだが、これって、作者が今の人間や社会をこうみているのだと言いたいだろうかと思ってしまった。

 ただ最後の最後に「けっして信じたくはないが、新しい秩序とは夥しい流血によって塗り固めなければ誕生しないものなのかもしれない」と早季は思い直す。
それは何があってもハダカネズミとの戦いの後にさらに新たな世界を築こうという意志のようだと思えた。加えてそれまで早季が感じていた酷いことをしてきた人間に対しての新たな視点だろう。

早季が「新世界より」の歌を聴きながら涙するのは、そこにあるどうしようもない悲しみを感じているんだろうなとも思えたのでした。

この「けっして信じたくはないが」の一文がなかったらこの世界はこの先どんどんと削られ消えてしまうのだろうと下巻は少し鬱々と読んでいたのだが、投げ出さず読み終えて良かったというのが読み終えた瞬間の感想でした。
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