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ちりぬるをわか

日々のちょっとした事。で、いろんなことがあったりなかったり。

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先日散歩がてらで寄った図書館分室。なんとなく本棚を見ていたら村上春樹の「ねむり」という単行本が目に止まった。
なんとなく題名に惹かれ手にとってパラパラとめくってみて、不眠症とは違うという話から始まっているのが気になって借りてきた。

前回と同じような形式で読書感想が書けるかな?

「ねむり」 村上春樹 新潮社 2010年発行。短編だがかなりの量の挿絵で本文87ページの中に挿絵だけのページが20ほどある。
この作品はもともと「眠り」というタイトルで1989年に文芸誌に発表されたもので、その翻訳が海外で出版される際に、これらの挿絵が使われたと村上春樹があとがきに書いている。それから20年近くが経って、海外で使われた挿絵を伴い、かつ全文改稿して2010年に単行本として出版されたのだそうだ。

あらすじ:(自分で簡単にまとめたもの)
主人公は30歳の主婦、歯科医の夫、子供が一人。裕福とまでは行かないがそこそこの生活をしているが、ある日、恐ろしい夢をみて以来、まったく眠れなくなってしまう。その時以来、自分が好きだった読書にはまっていく。眠れないままで、昼間は普段どおりの生活をし、夜には自分がかつてやっていた読書をしながらお酒を飲んだり、甘いものを食べたり、車で深夜の街のドライブをしたり自分の時間が広がったと感じていた。
そんな中、少しずつ何かが違和感を覚えるようになってきて、彼女の夫や子供のことからはどんどんと乖離していく。そんな彼女の考え方もどんどんと悪い方へ向かっていく。眠れないと死んでしまうのか?死ぬってどういうこと?などを考えながらもなぜか自分がどんどんと若くなってるとも感じる。

そんな違和感の中、彼女は深夜のドライブに出かけた先で事件に巻き込まれてしまい、何かが間違っていると思いながら恐怖で動けなくなる。

というところで話は終わっている。

お気に入りの言葉とかはちょっとむずかしいので率直な感想を書く。
はっきり言って、とても後味の悪い作品だった。同時に読み手にそう思わせるだけの作者の「力」も改めて感じた。

読んでいる間、この主人公の行動を自分なりの知識と照らし合わせていた。これは実に病理的な作品だ。村上春樹がこういう作品を書くのはもしかしたら、自分の中にある闇的なものを文章としてうまく処理できる人だからなのだろう。それらの闇を心の奥底で飼いならして作品にしてるのだろうとも思うのだ。
もともとの「眠り」が書かれたのは「ノルウエィの森」と「ダンス・ダンス・ダンス」の直後で心が堅まって冷たくなっていた時期だとも書かれていたので、この短編はその時の村上春樹の心の中の病理で間違い無いだろう。

世界の終わりとハードボイルドワンダーランドなどはわかりやすいし、短編もわかりやすい作品がいくつもあるが、この「ねむり」はそういう柔らかさに欠けてる。
随分と以前「ねじ巻きクロニクル」の第一巻を読んで気分が悪くなったときのことをかすかに思い出してしまった。この作品も狂気を描いたと村上春樹がどこかで書いていたような記憶があるが、この「ねむり」もそういう後味の悪さ。あとがきの通り心が堅まって冷たいのがそのまま出てきたような作風だった。だった。

他の人に奨めたいとは思わないが、とりあえず読了したので感想を書いておこう。

まあそんなこんなで今年2冊めの読書感想でした。

では良い一日を。
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「夜は短し 歩けよ乙女」 森見登美彦 角川文庫

あらすじにかえて(文庫本の裏表紙の紹介文の写し):
「黒髪の乙女」にひそかに想いを寄せる「先輩」は夜の先斗町に、下鴨神社の古本市に、大学の学園祭に彼女の姿を追い求めた。けれど先輩の思いに気づかない彼女は頻発する”偶然の出会い”にも「奇遇ですねえ!」というばかり。そんな2人を麻痺受けるのは、個性溢れる曲者たちと珍事件の数々だった。山本周五郎賞を受賞し本屋大賞2位にも選ばれたキュートでポップな恋愛ファンタジーの傑作! 解説 羽海野チカ

さて物語の舞台は京都市内。なので見覚え聞き覚えがある地名が次々と出てきて、先輩の語りと黒髪の乙女の語りが交互に物語をすすめていく。
主人公はもちろん黒髪の乙女。先輩は副主人公といえば良いのかな?それとももうひとりの主人公?
他の登場人物でキーになるのは李白翁と呼ばれる老人。この老人が第一章で「黒髪の乙女」言ったのが「夜は短し歩けよ乙女」という言葉で、第四章ではこれを乙女が自分に言うというのも面白い展開。
ただ話の展開がかなり早く、あるいは唐突で、なかなか取り付きにくく、読み終えるのに随分と時間がかかってしまった。が、一旦それがわかればどんどん読み進められると思う。

作品の中で気に入った場面(セリフ):
第2章は古本市で「黒髪の乙女」が子供の頃に好きだった絵本を探す話なのだが、そこでこんな事を考える乙女。
「我々は無意識のうちに本との出会いを選んでいるものでしょうし、あるいは我々が偶然と思っていても、それは単に錯綜する因果の糸がみえないに過ぎないのかもしれません。そう頭がわかっていても、本を巡る偶然に出くわした時、私は何か運命のようなものを感じてしまうのです。」
言ってる事がすっごくわかるような気がして、これで一気に先へ進めるた感じがあるかもしれない(笑)。
私自身も子供の頃に好きだった絵本を大人になってから探していた頃があったのでそういう意味でもこの第二章のこのシーンは気に入りました。私の場合は残念ながら見つけられなかったのですが。

物語が早い、突然な展開だけではなく、登場人物もかなり奇妙な人ばかり。というよりも登場人物が本当に人間なのか?もしかしたら神様やら妖怪の類が紛れているのではと思わせる世界観。
特に第4章は夢と現実がごちゃまぜになっての展開なので全く分からない人がいても不思議じゃないかもなあ。そういったごった煮のような世界が描かれたお話でした。
でもこの曖昧な感覚が後々の作品にも引き継がれてるんだなと「夜行」の事を思い出してしまったのでした。

読書感想はここまでです。
実際はこれをノートに書いてますが、一度サンプルとしてここに書き込んで見ました。久しぶりにここの本ジャンルで書くのもいいかな~、うん^^。
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何故か少し胃が痛いのでゴロゴロと転がりながら借りてきた本を読む。

西郷信綱の「梁塵秘抄」。
15の歌を取り上げて、独自の解説の部と梁塵秘抄の全体的なことに関した部分に別れていて
とりあえず歌の解説の方を読んでいた。

こういう昔の歌が好きな人って自分なりの解釈をする人が多いのかもしれない。
一般的な解釈だけならそれほど興味を引かないかも。
まあ、古典でもマイナーな部類だろうと思う。

この人のも独特の解釈。
一般的、教科書的な解釈よりも深く掘り下げて更に独自解釈が入ってる。

だけど、それがすべて納得出来るというわけでもない。
自分もまた自分なりの解釈があるので、それに幅を持たせるという意味ではとても興味深い。
うん、勉強になります、って感じかな。

まあ、自分もまたこういうのが好きな一人なのだろうねえ^^;。
と言いつつまだ胃が落ち着かない。

うーん、お昼にゴーヤ炒めて食べた時にはなんともなかった胃なんだけど。
ゴロゴロしてる間にお腹が冷えたのかなあ。
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