ちりぬるをわか
日々のちょっとした事。で、いろんなことがあったりなかったり。
八月の六日間を読みなおしてみると、改めてあれこれと気になってしまう。それらは個人的な感想でしか無いので、他の人はどう思うのだろうとちょっと気になった。
こういうちょっとした時にアマゾンのコメントが便利だ。昔ならネットを検索して他の人のHPやブログを読んだりしていたが、アマゾンでは気になる部分をちょっとつまんで見られる。こういうアマゾンの活用の仕方もあるんだろう。
^^
そのコメントは概ね二通りに分かれていて、一つは山歩きをしたことがない、あるいは現在山から遠ざかってる人達のコメント。これには好感触のものが多い。本を通じて山の雰囲気が伝わってきたとか、あるいは自分も山に行きたくなったなどなど。確かに描写は良いなと感じるし、良い雰囲気は伝わっていた。
もう片方は実際に山を歩いている人達のコメントで、準備や見通しが甘い、おやつばかり沢山ザックに詰め込めないだろう(笑)とか、お菓子はあるけど必須アイテムの非常食が入っていないとか、一日の歩きで体力を使い果たしているような歩き方はしない、といったように、実際に山を歩く人はそんな事はしないというもの。確かに自分も書かれていた荷物が多すぎるのではと読んでいて感じた。主人公の持っているザックの一つが自分の使っているものと同じものらしいので、そのザックがでてきた時点で荷物の多さに対する違和感が確かなものになったようだ。
さらに、この本に出てくる山々を自分の足で歩いた人達のコメントはかなりきびしくて、どこからどこそこへの所要時間がおかしい、到着時間が考えられないとか、実地的なコメントも見られた。
この本を読んで真似して山へ行こうとするのは危険ですというコメントもあった。前に書いた、この主人公のような山歩きをしてるといつか遭難してしまう、というのと同じ意味のことをソフトに書いていたわけだ。
主人公が山へ行くのに本を選ぶが、山へ行く人は1gでも荷物重量を減らしたいので本を持っていくなんておかしいとは山へ行く人の平均的な意見。だけど本を持って行きたくなる気持ちはわかるので自分としては無碍におかしいとは言わない。でも三冊は多すぎ(笑)。
ただ本つながりで言えば、荷物を軽くする意味でもガイドブックを持っていくことは考えられない。少しでも荷物を軽くするため、必要なページをコピーしてそこだけを持っていくだろうから。
結局、作者が山歩きを一般的な観光地巡りの延長線上に捉えてしまっているからお菓子を沢山持って行ったりガイドブックをもっていったりなどの描写が出てくるんだろうなあと読みなおしてみて思ったのだった。
本を読んで楽しむ事が出来るのが一番良いのだけど、そこを通り越して作者が意図しなかった考え方が気になり始めるとそこばかり気になってしまう。
蛇足。山の本として一冊だけ選ぶのなら、このお話に出てきた加藤文太郎の単独行かも知れないなんてことも思ったり。^^
こういうちょっとした時にアマゾンのコメントが便利だ。昔ならネットを検索して他の人のHPやブログを読んだりしていたが、アマゾンでは気になる部分をちょっとつまんで見られる。こういうアマゾンの活用の仕方もあるんだろう。
^^
そのコメントは概ね二通りに分かれていて、一つは山歩きをしたことがない、あるいは現在山から遠ざかってる人達のコメント。これには好感触のものが多い。本を通じて山の雰囲気が伝わってきたとか、あるいは自分も山に行きたくなったなどなど。確かに描写は良いなと感じるし、良い雰囲気は伝わっていた。
もう片方は実際に山を歩いている人達のコメントで、準備や見通しが甘い、おやつばかり沢山ザックに詰め込めないだろう(笑)とか、お菓子はあるけど必須アイテムの非常食が入っていないとか、一日の歩きで体力を使い果たしているような歩き方はしない、といったように、実際に山を歩く人はそんな事はしないというもの。確かに自分も書かれていた荷物が多すぎるのではと読んでいて感じた。主人公の持っているザックの一つが自分の使っているものと同じものらしいので、そのザックがでてきた時点で荷物の多さに対する違和感が確かなものになったようだ。
さらに、この本に出てくる山々を自分の足で歩いた人達のコメントはかなりきびしくて、どこからどこそこへの所要時間がおかしい、到着時間が考えられないとか、実地的なコメントも見られた。
この本を読んで真似して山へ行こうとするのは危険ですというコメントもあった。前に書いた、この主人公のような山歩きをしてるといつか遭難してしまう、というのと同じ意味のことをソフトに書いていたわけだ。
主人公が山へ行くのに本を選ぶが、山へ行く人は1gでも荷物重量を減らしたいので本を持っていくなんておかしいとは山へ行く人の平均的な意見。だけど本を持って行きたくなる気持ちはわかるので自分としては無碍におかしいとは言わない。でも三冊は多すぎ(笑)。
ただ本つながりで言えば、荷物を軽くする意味でもガイドブックを持っていくことは考えられない。少しでも荷物を軽くするため、必要なページをコピーしてそこだけを持っていくだろうから。
結局、作者が山歩きを一般的な観光地巡りの延長線上に捉えてしまっているからお菓子を沢山持って行ったりガイドブックをもっていったりなどの描写が出てくるんだろうなあと読みなおしてみて思ったのだった。
本を読んで楽しむ事が出来るのが一番良いのだけど、そこを通り越して作者が意図しなかった考え方が気になり始めるとそこばかり気になってしまう。
蛇足。山の本として一冊だけ選ぶのなら、このお話に出てきた加藤文太郎の単独行かも知れないなんてことも思ったり。^^
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たま~に、だけど座卓などの隅っこに足をぶつける。小指だったりむこうずねだったりで、ほんのかすり傷なの程度だが、これが強烈に痛い。さらにその痛みを上回るのが情けない気分になることだ。
今朝も、手に持っていたマグカップに気を取られて足をぶつけた。ぶつけた瞬間の痛みで何が起きたか判ったが時すでに遅し。手にしたカップを落とさなかっただけマシというものだろう。
その後、思わず座り込んでしまう。ぶつけたところを見てみると、傷は擦りむいた程度だったけど内出血しているらしくて青黒くなっていた。痛みを我慢して手のひらで揉んでいたけど・・・。
う~ん、これってホント情けないッて思う時間だなあ。
足ぶつけ痛み薄れるまでの情けなさ (字あまり)
(笑)
今朝も、手に持っていたマグカップに気を取られて足をぶつけた。ぶつけた瞬間の痛みで何が起きたか判ったが時すでに遅し。手にしたカップを落とさなかっただけマシというものだろう。
その後、思わず座り込んでしまう。ぶつけたところを見てみると、傷は擦りむいた程度だったけど内出血しているらしくて青黒くなっていた。痛みを我慢して手のひらで揉んでいたけど・・・。
う~ん、これってホント情けないッて思う時間だなあ。
足ぶつけ痛み薄れるまでの情けなさ (字あまり)
(笑)
クリスティはいったん置いといて、八月の六日間を読んだ。
北村薫の文体は柔らかくて読みやすい。かなり女性的だなと思う。ずっと前に初めて読んだ時は、この人は女性かなと思ってしまったほどだ(笑)。
一般的な感想でいえば、面白いお話だった。山歩きのいいところやそうでないところ、楽しさや辛さなども書かれていて、山へ何かを探しに行くとか、忘れ物を取りに行くとか、そういうのはわかる気がする。
あれこれと共感できるところもあるし、冒頭の方で出てきた加藤文太郎の「単独行」などもポイントが高い。
自分で登らなくてもそこに山があるだけで良しとする感覚、そこへ行く誰かにバトンを渡すとか、そういうのも同感できる。
たしかにこれを読んで山へ行ってみたいなと感じる人がいても不思議じゃない。
でも途中で幾つか違和感が出てくる。あとがきまで読んでみて判ったのだが、この人は山を歩かずにこのお話を書いたのだそうだ。山歩きをする人に話を聞いたり、山のDVDを見たり。かなり調べて書いたのだろうけど、実際に自分で歩いていないので、細かい所で違和感が出てきてたんだなあ。
一番の違和感は、主人公の山行きがあまりにも行き当たりばったり過ぎること。ここに書かれているような何日もかけて歩く山なら、どこへ行くって決めるのは当然だけど、綿密なとは言わなくても登山計画があってしかるべきで、それを書面にして提出するなんていうシーンが一切ない。
そして途中で違う場所へ向かってみようとしたり、持っているのに地図やコンパスを使わずに他の登山者にどうでしょうかと聞いたり、なんてとても三年も山歩きをした人がやることとは思えない、という違和感。
もしかしてこういうのが今の山歩きの主流なのか?そしてこの主人公は、こんな山歩きをしていたらいつか遭難するだろうなって思ったのも確か。^^;
一人で歩く楽しみ、気持ち、山の景色、空気の素晴らしさなどは書かれているけど、一人で山を歩く為の本当に基本的なことが描かれていないと思った。基本的なといってもマニュアルがあるわけではなく個人の感想的なところが大きいのだが、それでも歩く際の体重移動の方法や足の運び方歩きのリズムなどは共通するお約束じゃないかなと思う。
まあ、そういう諸々の違和感があったのは、はじめの方に山のあれこれが出てきたので、つい山歩きのお話だと思ってしまったこちらの問題なんだろう。
この本は山歩きのお話ではなくて、山歩き「も」する女性がどう自分と向き合っていくかが主題で、そういう意味ではとても面白いお話だった。もう一度おさらいがてら読みなおしておこうと思っている。^^
北村薫の文体は柔らかくて読みやすい。かなり女性的だなと思う。ずっと前に初めて読んだ時は、この人は女性かなと思ってしまったほどだ(笑)。
一般的な感想でいえば、面白いお話だった。山歩きのいいところやそうでないところ、楽しさや辛さなども書かれていて、山へ何かを探しに行くとか、忘れ物を取りに行くとか、そういうのはわかる気がする。
あれこれと共感できるところもあるし、冒頭の方で出てきた加藤文太郎の「単独行」などもポイントが高い。
自分で登らなくてもそこに山があるだけで良しとする感覚、そこへ行く誰かにバトンを渡すとか、そういうのも同感できる。
たしかにこれを読んで山へ行ってみたいなと感じる人がいても不思議じゃない。
でも途中で幾つか違和感が出てくる。あとがきまで読んでみて判ったのだが、この人は山を歩かずにこのお話を書いたのだそうだ。山歩きをする人に話を聞いたり、山のDVDを見たり。かなり調べて書いたのだろうけど、実際に自分で歩いていないので、細かい所で違和感が出てきてたんだなあ。
一番の違和感は、主人公の山行きがあまりにも行き当たりばったり過ぎること。ここに書かれているような何日もかけて歩く山なら、どこへ行くって決めるのは当然だけど、綿密なとは言わなくても登山計画があってしかるべきで、それを書面にして提出するなんていうシーンが一切ない。
そして途中で違う場所へ向かってみようとしたり、持っているのに地図やコンパスを使わずに他の登山者にどうでしょうかと聞いたり、なんてとても三年も山歩きをした人がやることとは思えない、という違和感。
もしかしてこういうのが今の山歩きの主流なのか?そしてこの主人公は、こんな山歩きをしていたらいつか遭難するだろうなって思ったのも確か。^^;
一人で歩く楽しみ、気持ち、山の景色、空気の素晴らしさなどは書かれているけど、一人で山を歩く為の本当に基本的なことが描かれていないと思った。基本的なといってもマニュアルがあるわけではなく個人の感想的なところが大きいのだが、それでも歩く際の体重移動の方法や足の運び方歩きのリズムなどは共通するお約束じゃないかなと思う。
まあ、そういう諸々の違和感があったのは、はじめの方に山のあれこれが出てきたので、つい山歩きのお話だと思ってしまったこちらの問題なんだろう。
この本は山歩きのお話ではなくて、山歩き「も」する女性がどう自分と向き合っていくかが主題で、そういう意味ではとても面白いお話だった。もう一度おさらいがてら読みなおしておこうと思っている。^^