ちりぬるをわか
日々のちょっとした事。で、いろんなことがあったりなかったり。

雨は上がったのかまだ降るのか?
湿った空気はひんやりとしています。
このお天気のせいなのか、朝から少しめまいがしていました。ストレッチで横になると天井が少し回ってました。これはマズイかなと思って体を起こしたら治ったので一時的なものでしょう。でも頭が重くて仕方がありません。まあこんなこともあるさねぇ。
さて、昨日は我慢の限界で、昼前に散髪に行きました。暇つぶしに借りた本も持っていって電車の中と順番待ちの間に読んでいました。
今回は、今まで以上に思い切り刈り上げもらって頭はスッキリ。
あれ?もしかして頭が痛いのって頭から風邪でも引いたかな?と今思うくらいスッキリ(笑)。
いや見た目だけはスッキリなんですけどね〜^^;。
で、本は「卒塔婆小町」を読み終わりました。まあまあまとまってたかなというのが一言での感想です。「弱法師」よりも絶望感がなかったのは最後に語り手役の人物が前向きになってたからか、それとも小町役の人が満足そうだったと思えたからなのか。
でも思えば不思議な物語というのが感想でしょうか。不思議さがどこか能楽のような雰囲気があるかもしれないなあ。
引き続き三作目の「浮舟」を読み進めましょ。
今日は終日どんよりとした天気が続くようなのでおとなしく昼寝でもしていたいt思います。
では良い一日になりますよう。
湿った空気はひんやりとしています。
このお天気のせいなのか、朝から少しめまいがしていました。ストレッチで横になると天井が少し回ってました。これはマズイかなと思って体を起こしたら治ったので一時的なものでしょう。でも頭が重くて仕方がありません。まあこんなこともあるさねぇ。
さて、昨日は我慢の限界で、昼前に散髪に行きました。暇つぶしに借りた本も持っていって電車の中と順番待ちの間に読んでいました。
今回は、今まで以上に思い切り刈り上げもらって頭はスッキリ。
あれ?もしかして頭が痛いのって頭から風邪でも引いたかな?と今思うくらいスッキリ(笑)。
いや見た目だけはスッキリなんですけどね〜^^;。
で、本は「卒塔婆小町」を読み終わりました。まあまあまとまってたかなというのが一言での感想です。「弱法師」よりも絶望感がなかったのは最後に語り手役の人物が前向きになってたからか、それとも小町役の人が満足そうだったと思えたからなのか。
でも思えば不思議な物語というのが感想でしょうか。不思議さがどこか能楽のような雰囲気があるかもしれないなあ。
引き続き三作目の「浮舟」を読み進めましょ。
今日は終日どんよりとした天気が続くようなのでおとなしく昼寝でもしていたいt思います。
では良い一日になりますよう。
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湿度はあるけどひんやりとした朝になりました。
そろそろ梅雨入りが迫ってきてるのかなと感じられます
少し動くと汗がじんわり滲んでましたが、昨日一昨日の気温の高さと比べるとまだ快適かもしれません。
問題は、この気温の差などの変化に体がついていけるのか〜ってところですが、言ってても仕方がないのでとりあえず普段通りに過ごしましょ。
しかし、そろそろ髪の毛があちこちに跳ねまくって鬱陶しくなってきました。湿度が高くなってるのを実感できる長さになってしまいました。そろそろ散髪に行かなくちゃなあ。
借りてきた本はまだ「卒塔婆小町」をゆっくりと読んでます。一気に読むと放送大学の勉強時間まで気力がもたない(笑)ので、折り合える程度にゆっくりやってます。
その放送大学ですが、昨日は徒然草の授業を一つ進めました。ほかの古典の授業はどんなものなのかわかりませんが、この講義は徒然草の中身から見られる兼好の人物像と中世以降に徒然草がどう読まれてきたのかが一つの軸になってるんだと気づきました。
室町、江戸時代、近代などの注釈本や見解を交え、それら時代がこの「徒然草」をどう掘り下げて行ったのかを学ぶという面白さもあるんだ、と昨日の授業を聞いていてふと思ったのでした。
古典って、今までの時代の積み重ね分だけ深く掘り下げていけるのだろうなあ。
そういうのを重みと見るかそれとも深みと見るか。
どちらにしても今の小説にはないものがありますね。でもそれらを知るには自分一人で読み時のは難しいだろうというのが残念で仕方ありません。
さて、話は変わって昨日ちょこっと近所を散歩してました。
相変わらず道の側に咲いてる花や植物を見ながらです。で、前から目をつけてる白スミレが茂ってる場所まで来て、「なかなか(種子が)出来ないなあ、いつになったら出来るんだ?」なんて独り言を言っていたんですが、ハッと気がつくと後ろに人が歩いてました。
あ〜、独り言聞かれたな^^;。
しかも何を言ってるのか意味不明だろうし、変な人がいるなあと警戒されたか。特にご近所だしまずいなあ、と恥ずかしくなって速度を上げてさっさとその場を去りました。
最近、誰もいないところで独り言が多いかなと思ってたんだけど、気をつけなくちゃ〜。
ということで、雨の一日になりそうです。
今日は家でのんびりと本を読もうかと思います。
では良い一日になりますよう。
そろそろ梅雨入りが迫ってきてるのかなと感じられます
少し動くと汗がじんわり滲んでましたが、昨日一昨日の気温の高さと比べるとまだ快適かもしれません。
問題は、この気温の差などの変化に体がついていけるのか〜ってところですが、言ってても仕方がないのでとりあえず普段通りに過ごしましょ。
しかし、そろそろ髪の毛があちこちに跳ねまくって鬱陶しくなってきました。湿度が高くなってるのを実感できる長さになってしまいました。そろそろ散髪に行かなくちゃなあ。
借りてきた本はまだ「卒塔婆小町」をゆっくりと読んでます。一気に読むと放送大学の勉強時間まで気力がもたない(笑)ので、折り合える程度にゆっくりやってます。
その放送大学ですが、昨日は徒然草の授業を一つ進めました。ほかの古典の授業はどんなものなのかわかりませんが、この講義は徒然草の中身から見られる兼好の人物像と中世以降に徒然草がどう読まれてきたのかが一つの軸になってるんだと気づきました。
室町、江戸時代、近代などの注釈本や見解を交え、それら時代がこの「徒然草」をどう掘り下げて行ったのかを学ぶという面白さもあるんだ、と昨日の授業を聞いていてふと思ったのでした。
古典って、今までの時代の積み重ね分だけ深く掘り下げていけるのだろうなあ。
そういうのを重みと見るかそれとも深みと見るか。
どちらにしても今の小説にはないものがありますね。でもそれらを知るには自分一人で読み時のは難しいだろうというのが残念で仕方ありません。
さて、話は変わって昨日ちょこっと近所を散歩してました。
相変わらず道の側に咲いてる花や植物を見ながらです。で、前から目をつけてる白スミレが茂ってる場所まで来て、「なかなか(種子が)出来ないなあ、いつになったら出来るんだ?」なんて独り言を言っていたんですが、ハッと気がつくと後ろに人が歩いてました。
あ〜、独り言聞かれたな^^;。
しかも何を言ってるのか意味不明だろうし、変な人がいるなあと警戒されたか。特にご近所だしまずいなあ、と恥ずかしくなって速度を上げてさっさとその場を去りました。
最近、誰もいないところで独り言が多いかなと思ってたんだけど、気をつけなくちゃ〜。
ということで、雨の一日になりそうです。
今日は家でのんびりと本を読もうかと思います。
では良い一日になりますよう。


昨日までと比べるととても爽やかな朝になってます。
気温もそこそこ、湿度は低いし気持ちが良いのです。
放送大学の課題も終わったので、少し気が抜けたのかもしれません。
昨日も結局ダラダラと過ごしてしまいました。
授業は2つを続けてやりましたが、2つ目に入るとかなり眠くて大変でした(笑)。
そのあとは中山可穂の本の続きを少し読みました。
次は「卒塔婆小町」です。一気に読むのではなくて、三分の1ほどですが、ここまでの展開はまあ、卒塔婆小町の伝承を現代風にアレンジしてるのだろうなというのが見られました。
「弱法師」よりも分かりやすいし入りやすいかな。
でも終わり方は悲劇的なんだろうなあと初めから読み取れるのは、この作家さんのスタイルなのか、それとも時代に合わせた風潮なのかなあ。
能楽の「卒塔婆小町」では小町は成仏して終わり、「弱法師」は家族のもとに戻ってメデシタシと終わりになります。これらはおそらく室町時代あたりでは、仏教的な救済というのが広まってい他ので、それが能に取り入れられたということだと思います。そいういう意味では当時の流行りだったともいえますからねえ。
もしそれと同じように時代を取り込んでるとか、そこまで考えての展開ならすごいなあとは思うんですが、それは分かりません。ただ現代のある部分を反映してるのは間違いないでしょうけど。それがどんなものなのかは作者の最良なのかなあ。
まあ、この続きは読んでみてのお楽しみにしましょ。
では今日も良い一日になりますよう。
気温もそこそこ、湿度は低いし気持ちが良いのです。
放送大学の課題も終わったので、少し気が抜けたのかもしれません。
昨日も結局ダラダラと過ごしてしまいました。
授業は2つを続けてやりましたが、2つ目に入るとかなり眠くて大変でした(笑)。
そのあとは中山可穂の本の続きを少し読みました。
次は「卒塔婆小町」です。一気に読むのではなくて、三分の1ほどですが、ここまでの展開はまあ、卒塔婆小町の伝承を現代風にアレンジしてるのだろうなというのが見られました。
「弱法師」よりも分かりやすいし入りやすいかな。
でも終わり方は悲劇的なんだろうなあと初めから読み取れるのは、この作家さんのスタイルなのか、それとも時代に合わせた風潮なのかなあ。
能楽の「卒塔婆小町」では小町は成仏して終わり、「弱法師」は家族のもとに戻ってメデシタシと終わりになります。これらはおそらく室町時代あたりでは、仏教的な救済というのが広まってい他ので、それが能に取り入れられたということだと思います。そいういう意味では当時の流行りだったともいえますからねえ。
もしそれと同じように時代を取り込んでるとか、そこまで考えての展開ならすごいなあとは思うんですが、それは分かりません。ただ現代のある部分を反映してるのは間違いないでしょうけど。それがどんなものなのかは作者の最良なのかなあ。
まあ、この続きは読んでみてのお楽しみにしましょ。
では今日も良い一日になりますよう。
