ちりぬるをわか
日々のちょっとした事。で、いろんなことがあったりなかったり。

朝。
夢を見ていた。
玄関のチャイムが、ピンポーンと鳴った。
あれ?なんだろうと反射的に起き上がった。
宅配便だった。
で、はんこを押して荷物を受け取ったら
見ていた夢を忘れてしまっていた。
夢を見ていた事は覚えているのだけど
内容はすっと拭い去ったように消えている。
頭がぼーっとしているなあ。
時計を見ると10時を過ぎていてた。
え?
もうこんな時間?
昨夜暑くて寝付けなかったからかな。
そうだ、今日は夕方から歯医者の定期検診だ。
虫歯が無いといいのだけど。
夢を見ていた。
玄関のチャイムが、ピンポーンと鳴った。
あれ?なんだろうと反射的に起き上がった。
宅配便だった。
で、はんこを押して荷物を受け取ったら
見ていた夢を忘れてしまっていた。
夢を見ていた事は覚えているのだけど
内容はすっと拭い去ったように消えている。
頭がぼーっとしているなあ。
時計を見ると10時を過ぎていてた。
え?
もうこんな時間?
昨夜暑くて寝付けなかったからかな。
そうだ、今日は夕方から歯医者の定期検診だ。
虫歯が無いといいのだけど。
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マンションの修繕工事もほとんど終わりに近づきました。
最後の行程は玄関ドアのペンキの塗り直し。
ということで、昨日今日と夕方まで玄関ドアを開け放った状態です。
これでは流石に音を出せないので、オカリナも笛もお休み中となっています。
昨日は図書館から帰ってからペンキ塗り。
今日は先程業者さんが来て塗っていきました。
開け放った玄関から、玄関脇のこちらの部屋までペンキの匂いで充満中。
エアコン部屋はロウカの扉を締めた奥にあるのでペンキの匂いはマシですが、
玄関を開けたままなので一応玄関脇の部屋でパソコンを見ているところです。
しっかし、今日も暑いです~><。
最後の行程は玄関ドアのペンキの塗り直し。
ということで、昨日今日と夕方まで玄関ドアを開け放った状態です。
これでは流石に音を出せないので、オカリナも笛もお休み中となっています。
昨日は図書館から帰ってからペンキ塗り。
今日は先程業者さんが来て塗っていきました。
開け放った玄関から、玄関脇のこちらの部屋までペンキの匂いで充満中。
エアコン部屋はロウカの扉を締めた奥にあるのでペンキの匂いはマシですが、
玄関を開けたままなので一応玄関脇の部屋でパソコンを見ているところです。
しっかし、今日も暑いです~><。


昨日の午後は、本の返却に図書館へ行って、また別の本を借りてきました。
前回の百鬼夜行絵巻の続きというか、関連で気になったものを3冊。
それらをざっと拾い読みしていたらすっかり時間が過ぎておりました^^;。
百鬼夜行絵巻というのは、異形のものがたくさん並んでいる室町時代ころに原型が造られた絵図の一つです。
いわゆる妖怪とか物の怪とかいうたぐいのものだと思われますが、
そういう形がないものを形にして描く(表現する)という人の心の働きにとても興味があるので
気がついたらそのたぐいの本を読んできました。
もっとも気がついたらのスパンが何年も何年も間が空いていることのほうが多いのです(笑)。
単に妖怪が好きだというのとはちょっと違うのだけど、
妖怪とか百鬼夜行の本を読むというと、ほとんど変わり者、好事家という目で見られてしまいます。
確かにそう云う面もあるのでしょうけど、それを通して見て何を見ているのかを説明すると帰ってややこしくなるし、余計に変わり者扱いされる、というのも経験しています。
興味の対象は、妖怪や百鬼夜行そのものではなくて、
人の心がなぜこういうものを作り出したのか・・
その心の働きとはどういうものなのだろう・・
ということなのです。
つまり心理学です。
妖怪が心理学に繋がるのか?
と言われれば、心理学という分野においての対象としては十分にありえると考えます。
ただしそれを実際にやっている人は殆どいないでしょう。
これがおとぎ話や昔話になれば、河合隼雄あたりはかなり重視していましたし、ユングの深層心理学的にもカバーされてる分野です。
その派生が妖怪など・・という立場で興味を注いでます。
それで何が分かるのか?
と言われれば、言葉にするのは難しいのだけど(笑)。
今も妖怪というキーワードが生きているのは間違いのないことです。
どんな形を取っていたとしても何か象徴として存在してる。
それがいろいろな創作(小説、ラノベ、ゲーム、アニメ、他に都市伝説などなど)に出てきているのは遠く平安、室町時代からの続きなのだろう・・と頭のなかでたどり着いています。
で今日も本の続きを眺めながらあれこれと考えてみようと思います。
外では朝から蝉の大合唱になっています。
夏だあ。
前回の百鬼夜行絵巻の続きというか、関連で気になったものを3冊。
それらをざっと拾い読みしていたらすっかり時間が過ぎておりました^^;。
百鬼夜行絵巻というのは、異形のものがたくさん並んでいる室町時代ころに原型が造られた絵図の一つです。
いわゆる妖怪とか物の怪とかいうたぐいのものだと思われますが、
そういう形がないものを形にして描く(表現する)という人の心の働きにとても興味があるので
気がついたらそのたぐいの本を読んできました。
もっとも気がついたらのスパンが何年も何年も間が空いていることのほうが多いのです(笑)。
単に妖怪が好きだというのとはちょっと違うのだけど、
妖怪とか百鬼夜行の本を読むというと、ほとんど変わり者、好事家という目で見られてしまいます。
確かにそう云う面もあるのでしょうけど、それを通して見て何を見ているのかを説明すると帰ってややこしくなるし、余計に変わり者扱いされる、というのも経験しています。
興味の対象は、妖怪や百鬼夜行そのものではなくて、
人の心がなぜこういうものを作り出したのか・・
その心の働きとはどういうものなのだろう・・
ということなのです。
つまり心理学です。
妖怪が心理学に繋がるのか?
と言われれば、心理学という分野においての対象としては十分にありえると考えます。
ただしそれを実際にやっている人は殆どいないでしょう。
これがおとぎ話や昔話になれば、河合隼雄あたりはかなり重視していましたし、ユングの深層心理学的にもカバーされてる分野です。
その派生が妖怪など・・という立場で興味を注いでます。
それで何が分かるのか?
と言われれば、言葉にするのは難しいのだけど(笑)。
今も妖怪というキーワードが生きているのは間違いのないことです。
どんな形を取っていたとしても何か象徴として存在してる。
それがいろいろな創作(小説、ラノベ、ゲーム、アニメ、他に都市伝説などなど)に出てきているのは遠く平安、室町時代からの続きなのだろう・・と頭のなかでたどり着いています。
で今日も本の続きを眺めながらあれこれと考えてみようと思います。
外では朝から蝉の大合唱になっています。
夏だあ。
