ちりぬるをわか
日々のちょっとした事。で、いろんなことがあったりなかったり。

借りてきた本は文庫本で上下巻の2冊。
上巻をパラパラとめくり、出だしがなかなかとりつきにくい感じ。
まあ、今風のアメリカのお話で、高校二年生女の子が主人公で
スケートボードをやっていたり、スマホでネット検索したり、自分で車を運転したり、そんな女の子なのに、抱えてるものが、これまた今風の暗い心象で始まるのです。
というのがいかにもいかにも(笑)。
読み進むうちに不思議の国のアリスと交差するところが出てきて、なかなか目が離せなくなってはいくのだけ
そこまで行くのに、今風のアメリカのティーンエイジャーのお話の展開で(笑)。
こういう今風アメリカティーンエイジャーのお話って、どこまで日本で読まれるんだろうなあと思ってしまいました。
文化的な違い、というのが大きいからねえ。
とりあえず夕方前までのんびり読み進め、上巻をほとんど読み終えました。
この本は、いわゆるラノベではなくて、少し前のジュブナイルというジャンルに相当するのでしょうね。日本では90年代位にはこのジャンルはヤングアダルトという呼び方に変わってました。
講談社だったかな、ヤングアダルト文庫(YA)というのがあったのでよく覚えてる。
その後、このジャンルよりもラノベのほうが若い人に人気が出てきたのでYAはあまり聞かなくなってしまいました。
なんて余談めいたことを思いながら読んでました。
着想自体はとてもおもしろいので、下巻がどういう展開になるのか楽しみ^^。
上巻をパラパラとめくり、出だしがなかなかとりつきにくい感じ。
まあ、今風のアメリカのお話で、高校二年生女の子が主人公で
スケートボードをやっていたり、スマホでネット検索したり、自分で車を運転したり、そんな女の子なのに、抱えてるものが、これまた今風の暗い心象で始まるのです。
というのがいかにもいかにも(笑)。
読み進むうちに不思議の国のアリスと交差するところが出てきて、なかなか目が離せなくなってはいくのだけ
そこまで行くのに、今風のアメリカのティーンエイジャーのお話の展開で(笑)。
こういう今風アメリカティーンエイジャーのお話って、どこまで日本で読まれるんだろうなあと思ってしまいました。
文化的な違い、というのが大きいからねえ。
とりあえず夕方前までのんびり読み進め、上巻をほとんど読み終えました。
この本は、いわゆるラノベではなくて、少し前のジュブナイルというジャンルに相当するのでしょうね。日本では90年代位にはこのジャンルはヤングアダルトという呼び方に変わってました。
講談社だったかな、ヤングアダルト文庫(YA)というのがあったのでよく覚えてる。
その後、このジャンルよりもラノベのほうが若い人に人気が出てきたのでYAはあまり聞かなくなってしまいました。
なんて余談めいたことを思いながら読んでました。
着想自体はとてもおもしろいので、下巻がどういう展開になるのか楽しみ^^。
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昨日はパソコンを閉じて久しぶりに書店へ。
外は汗ばむほどの陽気だった。
ずっと読んでいるシリーズの新刊が出ているので書店へ。
その後、図書館へ行った。
図書館でうろうろしながら、本の背表紙を眺めて過ごす。
結局一冊手にとったのは、角川文庫から出ていたラフカディオ・ハーンの「日本の怪談」という題の本。
まあ、よく目にするハーンの「怪談」に加えて他の文章も加えてあるというものだったので、お話自体は知っているもの。
でも違っているのは、怪談話として読みやすいように構成し直したものではなく、ハーンがいろいろと考察を加えたものがそのまま訳されているという点でした。
多くは明治以前の風習的な物で、それらは知らなかったことだったり、改めて気付かされたことだったり。
日本では当たり前すぎて埋もれていったことなどが、ハーンという当時の西洋の人の目で記録された文章だった点です。
例えば、江戸時代以前の鏡は銅鏡のものが多かったのですが、これは母から娘に手渡されて伝わっていたとか、鏡の裏には魂という字が書かれているものが多いとか。そして、その魂という字が表すとおり、鏡には魂が受け継がれてきたという考え方があるとか。
こんな事々が怪談話の文の中に含まれているのです。
なんだかすごく勉強になりました。で、結局ハーンの本は夜までかけて一気に読み通してしまいましたとさ^^;。
目は、パソコンを見ているよりはずっと楽でした。
今朝は、パソコンを見ているとまた少し涙目ですが、昨日よりもましかな~。
まあ、無理しない程度にします。^^
外は汗ばむほどの陽気だった。
ずっと読んでいるシリーズの新刊が出ているので書店へ。
その後、図書館へ行った。
図書館でうろうろしながら、本の背表紙を眺めて過ごす。
結局一冊手にとったのは、角川文庫から出ていたラフカディオ・ハーンの「日本の怪談」という題の本。
まあ、よく目にするハーンの「怪談」に加えて他の文章も加えてあるというものだったので、お話自体は知っているもの。
でも違っているのは、怪談話として読みやすいように構成し直したものではなく、ハーンがいろいろと考察を加えたものがそのまま訳されているという点でした。
多くは明治以前の風習的な物で、それらは知らなかったことだったり、改めて気付かされたことだったり。
日本では当たり前すぎて埋もれていったことなどが、ハーンという当時の西洋の人の目で記録された文章だった点です。
例えば、江戸時代以前の鏡は銅鏡のものが多かったのですが、これは母から娘に手渡されて伝わっていたとか、鏡の裏には魂という字が書かれているものが多いとか。そして、その魂という字が表すとおり、鏡には魂が受け継がれてきたという考え方があるとか。
こんな事々が怪談話の文の中に含まれているのです。
なんだかすごく勉強になりました。で、結局ハーンの本は夜までかけて一気に読み通してしまいましたとさ^^;。
目は、パソコンを見ているよりはずっと楽でした。
今朝は、パソコンを見ているとまた少し涙目ですが、昨日よりもましかな~。
まあ、無理しない程度にします。^^


しばらく前に届いた中陵漫録を適当に開いては読んで見る。
分からない漢字(主に外国の名や地名)などはスルーしてそのままで読み飛ばすが
読んでいたら日本のち名なのに馴染みがないものが出て来る。
大抵は想像が着くけど、頻繁に出てくる崎陽というのが分からなくて検索してみると
この「崎陽」というのは、江戸時代に漢学者が中国風に長崎をこう呼んだそうだ。
佐藤成裕も学者だからそういうことは知識としてあったのだろうなあ。
で、それ以上におどろいた事が検索した同じページに書いてあった。
崎陽というと今は横浜のシウマイ・崎陽軒を連想してしまうのだが、
その崎陽軒というのは創業者が長崎出身であったため、崎陽(長崎)という名を付けたのだと。
崎陽=長崎よりも、崎陽軒が実は長崎を意味しているということのほうがビックリだった。
まあ、そんなこんなでいろいろと調べながらゆっくりと読んでいます。^^
今日は朝から強い日差し。
また蒸し暑くなるそうです。
またエアコン部屋に避難して続きを読もうかな。
分からない漢字(主に外国の名や地名)などはスルーしてそのままで読み飛ばすが
読んでいたら日本のち名なのに馴染みがないものが出て来る。
大抵は想像が着くけど、頻繁に出てくる崎陽というのが分からなくて検索してみると
この「崎陽」というのは、江戸時代に漢学者が中国風に長崎をこう呼んだそうだ。
佐藤成裕も学者だからそういうことは知識としてあったのだろうなあ。
で、それ以上におどろいた事が検索した同じページに書いてあった。
崎陽というと今は横浜のシウマイ・崎陽軒を連想してしまうのだが、
その崎陽軒というのは創業者が長崎出身であったため、崎陽(長崎)という名を付けたのだと。
崎陽=長崎よりも、崎陽軒が実は長崎を意味しているということのほうがビックリだった。
まあ、そんなこんなでいろいろと調べながらゆっくりと読んでいます。^^
今日は朝から強い日差し。
また蒸し暑くなるそうです。
またエアコン部屋に避難して続きを読もうかな。
