ちりぬるをわか
日々のちょっとした事。で、いろんなことがあったりなかったり。
今日も図書館へ行く。
ひと駅向こうにある図書館分室で、直接歩いても25分ほどだが、行きは沿線沿いの桜の様子が見たかったので電車に乗った。桜はちらほらから三分咲きくらいまで。今年はなんだか花弁が白っぽいような気がすると思った。
今回の図書館分室も先日の分室と同じで子供の本が多く、三浦しおんの本も数冊しかなかった。が、読んでいないものだったので2冊短編集を借りて帰ってきた。
途中、歩道脇のすみれの様子を見ながら戻ってくる。去年もその前の年、一株だけ白いすみれが歩道脇に咲いている場所がある。今年は、早くも?咲いていたのを見て、もう春かなと思う。
借りてきてすぐに本を開き、2冊をあっさりと読み終えてしまった。
今回は外れだったようで、書いてあることは確かに面白いんだろうけど、いびつさが感じられるすっきりしない読後感だった。短編では登場人物の持つ個性なのか特徴なのか、そういったいびつさやアクばかりが表の出しまうんだろうか?
長編作で取り上げられる少し一般的ではない舞台のものは面白いと思う。
例えば昨日の「仏果を得ず」の文楽、「舟を編む人」の辞典編さんの現場、それと最新作の読んでみたいと思ってる「愛なき世界」の植物学の世界。これらの舞台が描くその世界の現場を垣間見れられる面白さが、いびつさやアクをかなり薄めてくれて、それがアクセントにもなってるんだろうなあと思った。
逆に、そういう癖のある登場人物だからお話として面白く展開できるんだろうか。一般論的に、どんな人だって、なにかしら抱えて生きてるわけなのだけど、それ以上に強烈な個性(アクの強さ)といったものが小説の登場人物には必要なのかな?
そういうのが最近の小説?ラノベ的?なんだろうか。なんてことも考えてしまった。
とりあえずもう一二冊、長編を借りて読んだら、自分の見方が合ってるかどうかわかるだろう。そこで合っていれば、何年か後に「愛なき世界」が図書館で借りられるまでは三浦しおんから離れようかな。
ということでまた近日中に図書館へ行く予定。
ひと駅向こうにある図書館分室で、直接歩いても25分ほどだが、行きは沿線沿いの桜の様子が見たかったので電車に乗った。桜はちらほらから三分咲きくらいまで。今年はなんだか花弁が白っぽいような気がすると思った。
今回の図書館分室も先日の分室と同じで子供の本が多く、三浦しおんの本も数冊しかなかった。が、読んでいないものだったので2冊短編集を借りて帰ってきた。
途中、歩道脇のすみれの様子を見ながら戻ってくる。去年もその前の年、一株だけ白いすみれが歩道脇に咲いている場所がある。今年は、早くも?咲いていたのを見て、もう春かなと思う。
借りてきてすぐに本を開き、2冊をあっさりと読み終えてしまった。
今回は外れだったようで、書いてあることは確かに面白いんだろうけど、いびつさが感じられるすっきりしない読後感だった。短編では登場人物の持つ個性なのか特徴なのか、そういったいびつさやアクばかりが表の出しまうんだろうか?
長編作で取り上げられる少し一般的ではない舞台のものは面白いと思う。
例えば昨日の「仏果を得ず」の文楽、「舟を編む人」の辞典編さんの現場、それと最新作の読んでみたいと思ってる「愛なき世界」の植物学の世界。これらの舞台が描くその世界の現場を垣間見れられる面白さが、いびつさやアクをかなり薄めてくれて、それがアクセントにもなってるんだろうなあと思った。
逆に、そういう癖のある登場人物だからお話として面白く展開できるんだろうか。一般論的に、どんな人だって、なにかしら抱えて生きてるわけなのだけど、それ以上に強烈な個性(アクの強さ)といったものが小説の登場人物には必要なのかな?
そういうのが最近の小説?ラノベ的?なんだろうか。なんてことも考えてしまった。
とりあえずもう一二冊、長編を借りて読んだら、自分の見方が合ってるかどうかわかるだろう。そこで合っていれば、何年か後に「愛なき世界」が図書館で借りられるまでは三浦しおんから離れようかな。
ということでまた近日中に図書館へ行く予定。
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昨日借りた二冊を読み終えた。
昨夜一冊、今日一冊。
ここまでで三浦しおんの作品は4,5冊読んだのかな?
少しだけど作風というか、なんかそんなものが見えてきたように思える。
軽くてさっさと読み通せる。
前にラノベ的なと書いたことがあるけどラノベに近いけど、物語の中に現実味があるところが大きな違いかもしれない。現実味というか、現実の世界の中の一部を切り取ってお話にしている所というのかな。
もちろんそのままリアルな世界でもないのだろうけど、リアルさを垣間見させてくれるような部分がある。
まあ、この展開はどうなんだろうというところはあるのだけど(そのあたりがラノベ的なのかもしれない)、現実にある専門的な分野と登場人物の心情というのが絡めて物語が進んでいくというのがこの人の作風なのかなと思ったり。
今回借りたうちの一冊、「仏果を得ず」は文楽という古典芸能の世界での物語。
文楽は、一度だけ文楽座に見に行ったことがある。細かいことはわからなくても人形の動きに魅せられ引き込まれる世界だった。演目もいくつか古典文学として読んだこともあるので、詳しくはなくても少しは親しみがある。
「仏果を得ず」というのは仮名手本忠臣蔵に出てくるセリフなのだけど、その解釈も打たれるものがあったし、主人公が語る文楽への思いというか、文楽作品の見方の一つ一つが興味深くて、割と入り込めたかもしれない。
ただ、もう一冊の作品でもそうだったのだけど、登場人物の人間関係の展開が今ひとつ唐突なのと軽いような気がするのだけど、あえてそういう流れにしてるのかもしれない????
まあ、そんなこんなで、明日にでも返却にいこうと思う。
昨夜一冊、今日一冊。
ここまでで三浦しおんの作品は4,5冊読んだのかな?
少しだけど作風というか、なんかそんなものが見えてきたように思える。
軽くてさっさと読み通せる。
前にラノベ的なと書いたことがあるけどラノベに近いけど、物語の中に現実味があるところが大きな違いかもしれない。現実味というか、現実の世界の中の一部を切り取ってお話にしている所というのかな。
もちろんそのままリアルな世界でもないのだろうけど、リアルさを垣間見させてくれるような部分がある。
まあ、この展開はどうなんだろうというところはあるのだけど(そのあたりがラノベ的なのかもしれない)、現実にある専門的な分野と登場人物の心情というのが絡めて物語が進んでいくというのがこの人の作風なのかなと思ったり。
今回借りたうちの一冊、「仏果を得ず」は文楽という古典芸能の世界での物語。
文楽は、一度だけ文楽座に見に行ったことがある。細かいことはわからなくても人形の動きに魅せられ引き込まれる世界だった。演目もいくつか古典文学として読んだこともあるので、詳しくはなくても少しは親しみがある。
「仏果を得ず」というのは仮名手本忠臣蔵に出てくるセリフなのだけど、その解釈も打たれるものがあったし、主人公が語る文楽への思いというか、文楽作品の見方の一つ一つが興味深くて、割と入り込めたかもしれない。
ただ、もう一冊の作品でもそうだったのだけど、登場人物の人間関係の展開が今ひとつ唐突なのと軽いような気がするのだけど、あえてそういう流れにしてるのかもしれない????
まあ、そんなこんなで、明日にでも返却にいこうと思う。
昼になって起きてきた。
しばらくぼんやりしていたが、借りていた三冊はざっと読み終えて、もう読み返す気にはならない類なので図書館へ返しに行くことにした。
外は暖かそうだったので、Tシャツの上にスエットのジャージを羽織った。
今日は歩きで行くご近所の図書館分室まで。空は曇っていて日差しは無いが暖かい。花曇と言うやつかな。途中にある小さな川沿いの桜並木がちらほらと花をつけ始めていた。
満開のアセビの花の横で、ユキヤナギの小さな白い花びらが時折の風に吹かれて落ちていた。
図書館は地域の公民館の一室にある。
この時間、ここの公民館はなかなか賑わっていて、公民館前にあるテニスコート2枚分ほどの広場では子どもたちがワイワイと遊んでいる。中に入るとエントランスホールに置かれたいくつものテーブルに向かって子どもたちが宿題をやっている。
そんな様子を見ながら図書館の部屋に入る。
相変わらず暖房が強すぎるなあと思いながら本を返却した。いつもここに来るとすぐに汗が吹き出してくるのだ。
小さな部屋をぐるぐる、書棚を見ながらなにか手頃な本がないか探す。ここの利用者に子どもたちが多いからか書棚の半分以上が子供向けの本で埋められいる。あとはくたびれた単行本がほとんどで文庫本は殆ど無く、それ以上に無いのが学術的な本。なので先日考えたとおり三浦しおんの本を2冊借りた。
帰り道は来るときとは少し違ったコースを歩く。
去年の今頃てくてくを始めた頃に歩いた満池谷という墓地の中を通るコース。
図書館からほど近い墓地の入口には大きなクスノキが立っている。去年のてくてくではけっこう樹木探しで神社やあちこちを歩いた。その中の一本だ。そばまで行ってしばらく見上げている。この樹木、何年ぐらいになるんだろう?またスケッチブック持って来よう、と思いながら墓地への坂道を息を切らして登る。やっぱりしばらく外へ出ていないと息切れが早いなあ。
ここはわりと広い墓地で内の道路もしっかり舗装されてるが、なにより車がほとんど通らないし上、適度なアップダウンもあるので散歩コースにしている人も結構見かける。去年はめまいでフラフラしていたので、車がほとんど通らないここを歩いたんだった。
それを思えば、今は息切してるが、まだまだ大丈夫だな。
周りの景色を見わたす余裕もあるし、右手の少し向こうに見えている仏性ヶ原という古い地名(江戸時代頃までも呼び名)の小高い丘。こういうことも去年一年でいろいろ歩いて、いろいろと知った。
ああ、そうだなあ、江戸時代のころってここいらあたりはどんな場所だったのだろう。その頃に生きていたら、今以上にダラダラと生きていられたかなと自分に笑う。
でも、それだと本も読めないし旅行にも行けなかったかと思いなおした。
歩いているだけなのに、汗が吹き出して額から落ちてくる。
はあ~、もうすっかり春なのかもなあ。
しばらくぼんやりしていたが、借りていた三冊はざっと読み終えて、もう読み返す気にはならない類なので図書館へ返しに行くことにした。
外は暖かそうだったので、Tシャツの上にスエットのジャージを羽織った。
今日は歩きで行くご近所の図書館分室まで。空は曇っていて日差しは無いが暖かい。花曇と言うやつかな。途中にある小さな川沿いの桜並木がちらほらと花をつけ始めていた。
満開のアセビの花の横で、ユキヤナギの小さな白い花びらが時折の風に吹かれて落ちていた。
図書館は地域の公民館の一室にある。
この時間、ここの公民館はなかなか賑わっていて、公民館前にあるテニスコート2枚分ほどの広場では子どもたちがワイワイと遊んでいる。中に入るとエントランスホールに置かれたいくつものテーブルに向かって子どもたちが宿題をやっている。
そんな様子を見ながら図書館の部屋に入る。
相変わらず暖房が強すぎるなあと思いながら本を返却した。いつもここに来るとすぐに汗が吹き出してくるのだ。
小さな部屋をぐるぐる、書棚を見ながらなにか手頃な本がないか探す。ここの利用者に子どもたちが多いからか書棚の半分以上が子供向けの本で埋められいる。あとはくたびれた単行本がほとんどで文庫本は殆ど無く、それ以上に無いのが学術的な本。なので先日考えたとおり三浦しおんの本を2冊借りた。
帰り道は来るときとは少し違ったコースを歩く。
去年の今頃てくてくを始めた頃に歩いた満池谷という墓地の中を通るコース。
図書館からほど近い墓地の入口には大きなクスノキが立っている。去年のてくてくではけっこう樹木探しで神社やあちこちを歩いた。その中の一本だ。そばまで行ってしばらく見上げている。この樹木、何年ぐらいになるんだろう?またスケッチブック持って来よう、と思いながら墓地への坂道を息を切らして登る。やっぱりしばらく外へ出ていないと息切れが早いなあ。
ここはわりと広い墓地で内の道路もしっかり舗装されてるが、なにより車がほとんど通らないし上、適度なアップダウンもあるので散歩コースにしている人も結構見かける。去年はめまいでフラフラしていたので、車がほとんど通らないここを歩いたんだった。
それを思えば、今は息切してるが、まだまだ大丈夫だな。
周りの景色を見わたす余裕もあるし、右手の少し向こうに見えている仏性ヶ原という古い地名(江戸時代頃までも呼び名)の小高い丘。こういうことも去年一年でいろいろ歩いて、いろいろと知った。
ああ、そうだなあ、江戸時代のころってここいらあたりはどんな場所だったのだろう。その頃に生きていたら、今以上にダラダラと生きていられたかなと自分に笑う。
でも、それだと本も読めないし旅行にも行けなかったかと思いなおした。
歩いているだけなのに、汗が吹き出して額から落ちてくる。
はあ~、もうすっかり春なのかもなあ。