ちりぬるをわか
日々のちょっとした事。で、いろんなことがあったりなかったり。

先日図書館で借りた三浦しおん以外の本を読み終えた。
こちらの方は小説ではなく生物学的な新書で「働かないアリに意義がある」というタイトル。
タイトルが目についてパラパラとめくったらかなり真面目な内容で、アリやハチのような社会性のある昆虫の話でした。
進化生物学の学者先生が書いた本なのだけど、もともと興味があった分野でもあるし、かなりわかり易い文章だったということもあって、一気に読み切ってしまった。
アリやハチの社会性が人間社会に比較されて話が出ることがあるのだけど、昆虫と人間では似てるところもあるが、違うところも多々あるそうだ。昆虫の社会と人間を比較するのなら、人間社会ではなく、一人の人間が細胞の集まりであり、細胞の働きと比べるほうがより比較になるというのは目からウロコでした。
ということでこれにて一連の読書タイムは終了。
さてさて・・・
お腹も今ひとつすっきりしなくて、胃のあたりから腸にかけてどんよりと重くあまり動く気にならないので、今しばらくゴロゴロ過ごしたいと思う。
相変わらず午前中には目が覚めない日々も続いてる。体調不良というよりも低調不全?そんな言葉があるのか?
そろそろ桜も咲き始めてる頃だとは思うのだけど、一週間後あたりが満開になるのかな。マンションの隣家の枝垂れ桜はもう花弁を散らし始めてる。
3月はこんな感じで終わりですかねえ。
こちらの方は小説ではなく生物学的な新書で「働かないアリに意義がある」というタイトル。
タイトルが目についてパラパラとめくったらかなり真面目な内容で、アリやハチのような社会性のある昆虫の話でした。
進化生物学の学者先生が書いた本なのだけど、もともと興味があった分野でもあるし、かなりわかり易い文章だったということもあって、一気に読み切ってしまった。
アリやハチの社会性が人間社会に比較されて話が出ることがあるのだけど、昆虫と人間では似てるところもあるが、違うところも多々あるそうだ。昆虫の社会と人間を比較するのなら、人間社会ではなく、一人の人間が細胞の集まりであり、細胞の働きと比べるほうがより比較になるというのは目からウロコでした。
ということでこれにて一連の読書タイムは終了。
さてさて・・・
お腹も今ひとつすっきりしなくて、胃のあたりから腸にかけてどんよりと重くあまり動く気にならないので、今しばらくゴロゴロ過ごしたいと思う。
相変わらず午前中には目が覚めない日々も続いてる。体調不良というよりも低調不全?そんな言葉があるのか?
そろそろ桜も咲き始めてる頃だとは思うのだけど、一週間後あたりが満開になるのかな。マンションの隣家の枝垂れ桜はもう花弁を散らし始めてる。
3月はこんな感じで終わりですかねえ。
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昨日、ここに書き込んだあとで、そういえばまだ図書館が開いてる時間だと思って急いで図書館へ向かった。
で、読んだ本を返却し新たに三浦しおんの本を借りてきた。本の帯に、三浦しおんは「お仕事小説の旗手」というようなことが書かれていた。確かに今まで読んだ長編はどれも仕事の話でもあったわけで、その本を借りた。
話は少々変わって・・・、ここ数日胃の調子が今ひとつで、昨日はそれが腸まで広がった感じで、結局夜にお腹を下してしまって、夜中もお腹がゴロゴロしてなかなか寝付けなかった。
さて、その本だが、高校を卒業したばかりの横浜育ちの主人公は、ひょんなことから三重県の山奥の村で林業に関わることになるというところから始まる。
林業という仕事についてはかなり興味深く書かれているのだけど、登場人物のアクが強いというか、変わり者というのか、このパターンは続いてる。
今回は都会育ちで高校卒業したての18才という若い主人公が、いろいろな風習などが残る山村をどんな具合に感じて過ごしたかというのが簡単なあらすじなのだ。
が、この主人公があまりにひどい・・・、と思った。いや、自分が知らないだけで、実は都会育ちの若い人ってこんなものなのかな?とも思ったが、あまりにもあまりな主人公の幼さなのか感受性のなさというか、もうなんだか残念すぎる。そういった都会の若者と山の風習や暮らしのギャップを描きたかったのかもしれない。
でも、もし今の若い世代がそういった感性しかないのなら、日本の文化風習はもはや廃れるしかないんだろうなと悶々としてしまった。
たしかに部分的に面白いところは何箇所もあった。
でも全体を通してみると、残念な主人公の印象が強すぎて、後味が悪かったかなあ。
もっと若い人向けなのかもしれないねえ。
ということで、先日も書いたとおり、三浦しおんはこれで一旦終わりにします。
で、読んだ本を返却し新たに三浦しおんの本を借りてきた。本の帯に、三浦しおんは「お仕事小説の旗手」というようなことが書かれていた。確かに今まで読んだ長編はどれも仕事の話でもあったわけで、その本を借りた。
話は少々変わって・・・、ここ数日胃の調子が今ひとつで、昨日はそれが腸まで広がった感じで、結局夜にお腹を下してしまって、夜中もお腹がゴロゴロしてなかなか寝付けなかった。
さて、その本だが、高校を卒業したばかりの横浜育ちの主人公は、ひょんなことから三重県の山奥の村で林業に関わることになるというところから始まる。
林業という仕事についてはかなり興味深く書かれているのだけど、登場人物のアクが強いというか、変わり者というのか、このパターンは続いてる。
今回は都会育ちで高校卒業したての18才という若い主人公が、いろいろな風習などが残る山村をどんな具合に感じて過ごしたかというのが簡単なあらすじなのだ。
が、この主人公があまりにひどい・・・、と思った。いや、自分が知らないだけで、実は都会育ちの若い人ってこんなものなのかな?とも思ったが、あまりにもあまりな主人公の幼さなのか感受性のなさというか、もうなんだか残念すぎる。そういった都会の若者と山の風習や暮らしのギャップを描きたかったのかもしれない。
でも、もし今の若い世代がそういった感性しかないのなら、日本の文化風習はもはや廃れるしかないんだろうなと悶々としてしまった。
たしかに部分的に面白いところは何箇所もあった。
でも全体を通してみると、残念な主人公の印象が強すぎて、後味が悪かったかなあ。
もっと若い人向けなのかもしれないねえ。
ということで、先日も書いたとおり、三浦しおんはこれで一旦終わりにします。


今日も図書館へ行く。
ひと駅向こうにある図書館分室で、直接歩いても25分ほどだが、行きは沿線沿いの桜の様子が見たかったので電車に乗った。桜はちらほらから三分咲きくらいまで。今年はなんだか花弁が白っぽいような気がすると思った。
今回の図書館分室も先日の分室と同じで子供の本が多く、三浦しおんの本も数冊しかなかった。が、読んでいないものだったので2冊短編集を借りて帰ってきた。
途中、歩道脇のすみれの様子を見ながら戻ってくる。去年もその前の年、一株だけ白いすみれが歩道脇に咲いている場所がある。今年は、早くも?咲いていたのを見て、もう春かなと思う。
借りてきてすぐに本を開き、2冊をあっさりと読み終えてしまった。
今回は外れだったようで、書いてあることは確かに面白いんだろうけど、いびつさが感じられるすっきりしない読後感だった。短編では登場人物の持つ個性なのか特徴なのか、そういったいびつさやアクばかりが表の出しまうんだろうか?
長編作で取り上げられる少し一般的ではない舞台のものは面白いと思う。
例えば昨日の「仏果を得ず」の文楽、「舟を編む人」の辞典編さんの現場、それと最新作の読んでみたいと思ってる「愛なき世界」の植物学の世界。これらの舞台が描くその世界の現場を垣間見れられる面白さが、いびつさやアクをかなり薄めてくれて、それがアクセントにもなってるんだろうなあと思った。
逆に、そういう癖のある登場人物だからお話として面白く展開できるんだろうか。一般論的に、どんな人だって、なにかしら抱えて生きてるわけなのだけど、それ以上に強烈な個性(アクの強さ)といったものが小説の登場人物には必要なのかな?
そういうのが最近の小説?ラノベ的?なんだろうか。なんてことも考えてしまった。
とりあえずもう一二冊、長編を借りて読んだら、自分の見方が合ってるかどうかわかるだろう。そこで合っていれば、何年か後に「愛なき世界」が図書館で借りられるまでは三浦しおんから離れようかな。
ということでまた近日中に図書館へ行く予定。
ひと駅向こうにある図書館分室で、直接歩いても25分ほどだが、行きは沿線沿いの桜の様子が見たかったので電車に乗った。桜はちらほらから三分咲きくらいまで。今年はなんだか花弁が白っぽいような気がすると思った。
今回の図書館分室も先日の分室と同じで子供の本が多く、三浦しおんの本も数冊しかなかった。が、読んでいないものだったので2冊短編集を借りて帰ってきた。
途中、歩道脇のすみれの様子を見ながら戻ってくる。去年もその前の年、一株だけ白いすみれが歩道脇に咲いている場所がある。今年は、早くも?咲いていたのを見て、もう春かなと思う。
借りてきてすぐに本を開き、2冊をあっさりと読み終えてしまった。
今回は外れだったようで、書いてあることは確かに面白いんだろうけど、いびつさが感じられるすっきりしない読後感だった。短編では登場人物の持つ個性なのか特徴なのか、そういったいびつさやアクばかりが表の出しまうんだろうか?
長編作で取り上げられる少し一般的ではない舞台のものは面白いと思う。
例えば昨日の「仏果を得ず」の文楽、「舟を編む人」の辞典編さんの現場、それと最新作の読んでみたいと思ってる「愛なき世界」の植物学の世界。これらの舞台が描くその世界の現場を垣間見れられる面白さが、いびつさやアクをかなり薄めてくれて、それがアクセントにもなってるんだろうなあと思った。
逆に、そういう癖のある登場人物だからお話として面白く展開できるんだろうか。一般論的に、どんな人だって、なにかしら抱えて生きてるわけなのだけど、それ以上に強烈な個性(アクの強さ)といったものが小説の登場人物には必要なのかな?
そういうのが最近の小説?ラノベ的?なんだろうか。なんてことも考えてしまった。
とりあえずもう一二冊、長編を借りて読んだら、自分の見方が合ってるかどうかわかるだろう。そこで合っていれば、何年か後に「愛なき世界」が図書館で借りられるまでは三浦しおんから離れようかな。
ということでまた近日中に図書館へ行く予定。
