ちりぬるをわか
日々のちょっとした事。で、いろんなことがあったりなかったり。

今日も朝に目を覚ましました。
でもすでに眠くて眠くて^^;。
今日も時々居眠りしながら一日が過ぎていくのでしょうねえ。
昔、年取ったら縁側で日向ぼっこをしながらうとうと寝ているようになるのかな、と思っていた子供時代のイメージが、今になって我が身で実体験するようになったか~、とか思ったり思わなかったりしてます。
でも、自分では縁側の有る家に住んだこともありません。
きっと昭和なイメージというやつなんでしょうねえ?
まあすっかり時代も変わっているし、今や縁側のある家のほうが少ないんじゃないだろうか?
なんてことを思ったりした今朝です。
では良い一日を。
でもすでに眠くて眠くて^^;。
今日も時々居眠りしながら一日が過ぎていくのでしょうねえ。
昔、年取ったら縁側で日向ぼっこをしながらうとうと寝ているようになるのかな、と思っていた子供時代のイメージが、今になって我が身で実体験するようになったか~、とか思ったり思わなかったりしてます。
でも、自分では縁側の有る家に住んだこともありません。
きっと昭和なイメージというやつなんでしょうねえ?
まあすっかり時代も変わっているし、今や縁側のある家のほうが少ないんじゃないだろうか?
なんてことを思ったりした今朝です。
では良い一日を。
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はっ と気がついたら18時を回ってしました。
いつの間に寝てしまったんだろう・・・・。
今日もまたオカリナの時間を寝過ごしてしまった。
お昼間は家の中にいても暖かく、バイトから帰ってきた暑がりの子供が窓を開けて扇風機を回していました。
それでもなんということもなく過ごせてしたのですが、
先程は体がひんやりして、目を覚ましました。
ずっとそのまま窓も開けたままになっていました。
すっかり部屋のなかも暖かさが逃げてしまった。
とりあえず今夜も早めに眠れるんじゃないかなあ、というくらい眠いです。
いつの間に寝てしまったんだろう・・・・。
今日もまたオカリナの時間を寝過ごしてしまった。
お昼間は家の中にいても暖かく、バイトから帰ってきた暑がりの子供が窓を開けて扇風機を回していました。
それでもなんということもなく過ごせてしたのですが、
先程は体がひんやりして、目を覚ましました。
ずっとそのまま窓も開けたままになっていました。
すっかり部屋のなかも暖かさが逃げてしまった。
とりあえず今夜も早めに眠れるんじゃないかなあ、というくらい眠いです。


今日も良い天気です。
遅寝超早起きで起きてきました。
まだ外も暗い時間で、特にやることもないので、図書館の本をパラパラと拾い読みしていました。
山片蟠桃が書に残した内容は、江戸時代においてはかなり革新的だったんでしょう。
一部は今の時代にも通用することも書き残されています。
商売人だったこともあるのでしょうが、いろいろなことを経済的な面で捉え効率の悪いことについては徹底的に批判しています。
例えば、社寺の山林敷地は経済効果を産まないので無駄だとか、将軍(この時代は徳川家斉)が無駄遣いしているとか、芝居や音楽もダメだとか。
儒教を学んでいたこともあって、神仏なども否定していますし、神社や寺、神職や坊主は庶民からお金をむしり取る輩であるとまで書いていました。
また古事記などもつじつまが合わないことが書かれているので後世に都合良く書かれたものだろうとも書いていました。
迷信的なことも否定していますし、十干十二支などの占いも同じくです。。
という具合に神仏よりも世の中の人がどれだけ経済的に豊かに暮らせるかというのを重視した人。とでも言えばいいのかなあ。
しかし当時の西洋の学問にも触れていて、天動説や世界各国のことにも触れていますし、かなり頭が切れる人ではあったようです。そんな人ですから、仙台藩の財政難を立て直した功労者として、歴史にも名が残ってるわけです。
亡くなる前に辞世の歌を詠んでいます。
「地獄なし極楽もなし我もなし
ただ有物は人と万物」
また
「神仏化物もなし世の中に
奇妙不思議の事はなほなし」
まあ、江戸時代にもこういった考えの人がいたのだというのがわかったので面白かったかな。
では良い一日を。
遅寝超早起きで起きてきました。
まだ外も暗い時間で、特にやることもないので、図書館の本をパラパラと拾い読みしていました。
山片蟠桃が書に残した内容は、江戸時代においてはかなり革新的だったんでしょう。
一部は今の時代にも通用することも書き残されています。
商売人だったこともあるのでしょうが、いろいろなことを経済的な面で捉え効率の悪いことについては徹底的に批判しています。
例えば、社寺の山林敷地は経済効果を産まないので無駄だとか、将軍(この時代は徳川家斉)が無駄遣いしているとか、芝居や音楽もダメだとか。
儒教を学んでいたこともあって、神仏なども否定していますし、神社や寺、神職や坊主は庶民からお金をむしり取る輩であるとまで書いていました。
また古事記などもつじつまが合わないことが書かれているので後世に都合良く書かれたものだろうとも書いていました。
迷信的なことも否定していますし、十干十二支などの占いも同じくです。。
という具合に神仏よりも世の中の人がどれだけ経済的に豊かに暮らせるかというのを重視した人。とでも言えばいいのかなあ。
しかし当時の西洋の学問にも触れていて、天動説や世界各国のことにも触れていますし、かなり頭が切れる人ではあったようです。そんな人ですから、仙台藩の財政難を立て直した功労者として、歴史にも名が残ってるわけです。
亡くなる前に辞世の歌を詠んでいます。
「地獄なし極楽もなし我もなし
ただ有物は人と万物」
また
「神仏化物もなし世の中に
奇妙不思議の事はなほなし」
まあ、江戸時代にもこういった考えの人がいたのだというのがわかったので面白かったかな。
では良い一日を。
