ちりぬるをわか
日々のちょっとした事。で、いろんなことがあったりなかったり。

先週、小ちゃとらが学校で伊吹文部科学相の自殺といじめに関するメッセージを学校でもらってきていました。このところ急にこの話題が特に取り上げられているのは、やっぱり文部科学相に宛てて出された「自殺します」という手紙が発端なのかしらん。
いじめ問題への緊急提言っていうの、どう考えても遅すぎるよねえ。ここまできてやっと重たい腰を上げ始めたのかな、って感じだし。もちろん、今までのように、何事も無かったような顔をし続けているよりはずっとましだけどさあ。
はたしてここから先、どれだけのことが変わっていくのかなあ。できるだけいじめられる側の立場に立っていろんな事を考えて欲しい、と言うのはもちろんだけど、出来るだけ良い方に進むことを期待したいと思います。
誰が悪いという犯人捜しをするのは簡単だけど、それだけでは決していじめは無くならないと思うんだよね。それだって、責任のなすりつけをして終わってしまうのだから。いじめに対して学校の責任を明確にした点では評価できると思う。でも、学校以外にも責任を負うべき立場のものがいるって事も認識して欲しいなあ。
いじめ問題への緊急提言っていうの、どう考えても遅すぎるよねえ。ここまできてやっと重たい腰を上げ始めたのかな、って感じだし。もちろん、今までのように、何事も無かったような顔をし続けているよりはずっとましだけどさあ。
はたしてここから先、どれだけのことが変わっていくのかなあ。できるだけいじめられる側の立場に立っていろんな事を考えて欲しい、と言うのはもちろんだけど、出来るだけ良い方に進むことを期待したいと思います。
誰が悪いという犯人捜しをするのは簡単だけど、それだけでは決していじめは無くならないと思うんだよね。それだって、責任のなすりつけをして終わってしまうのだから。いじめに対して学校の責任を明確にした点では評価できると思う。でも、学校以外にも責任を負うべき立場のものがいるって事も認識して欲しいなあ。
PR
” 「いじめ問題への緊急提言」?”の思うんだけどさ…


昨日はフルートの練習が出来なかったので、今日は30分長めに練習しました。
初めの30分はゆっくりと音階練習にあてました。
音階練習を終えたところで、少し時間にも余裕があるので、前に練習していたシチリア−ノという曲を吹いてみましたら、全然憶えていないんですね(^^;)。
これにはそうとう凹みました(TT)。
う〜ん、今やっている練習曲でもおぼつかないのに、前の曲が完璧なわけも無いよねえ、と思いながら、そのあとはいつも通りに練習にもどりました。
Chantantes6番はもう少しかかりそう。
初日はそれほど時間かからないかなと思ったのだけど、やっぱりやっていくうちに、細かい所が難しくなってくるんです。これでもう良しと自分で思えば、少しぐらい出来なくても先へ進んでもいいのだけど、そのあたり自分でどう判断するか、難しいなあ。
初めの30分はゆっくりと音階練習にあてました。
音階練習を終えたところで、少し時間にも余裕があるので、前に練習していたシチリア−ノという曲を吹いてみましたら、全然憶えていないんですね(^^;)。
これにはそうとう凹みました(TT)。
う〜ん、今やっている練習曲でもおぼつかないのに、前の曲が完璧なわけも無いよねえ、と思いながら、そのあとはいつも通りに練習にもどりました。
Chantantes6番はもう少しかかりそう。
初日はそれほど時間かからないかなと思ったのだけど、やっぱりやっていくうちに、細かい所が難しくなってくるんです。これでもう良しと自分で思えば、少しぐらい出来なくても先へ進んでもいいのだけど、そのあたり自分でどう判断するか、難しいなあ。


昨日のダリ展では「これなに?」「わけわかんねえな」と言っている何人もの人がいました。ダリは確かに有名だけど、それだけで見てもわけの分からない絵画としか目に写りません。
本当なら、ダリの絵画に関してはシュールレアリズムがどういったものなのかをある程度理解した上で見ないといけないんだろうな〜。
シュールレアリズムというのは19世紀の終わり頃から20世紀前半に出てきた考え方で、それを絵画や文学的表現として現したものなのです。
それは、人の心の中を表現したもので、当時では最先端の考え方だったと思います。
この考え方に大きく影響したのは、同時代のフロイトの精神分析の考え方です。精神分析では心の中がどうなっているのかを考えます。今でこそ、心の闇、とかいろんな心の事を表現した言葉を耳にしますが、当時は一部の人しか知らないことでした。あまりにも最先端で、ほとんどの人は理解できない、現実を超えたもの、と言う事でシュール(超える)レアリズム(現実主義)と呼ばれています。
ダリの他には、キリコ、マックス・エルンストなどが有名な画家。エルンストは文学的な作品も幾つか書いています。もちろん、一読して理解できる作品ではありませんが(笑)。
不思議なのは、これらの人々がこぞったようにこの時代に出てきたことです。きっとこういうのが時代の流れというものなのでしょうね。
その流れは、今でも続いていますし、シュールレアリズム的な絵画手法で描かれる絵なんて珍しくなくなりました。
心の事もそれと同じくらい知られつつありますが、その中の複雑さについてはまだまだ理解できるところではないのでしょう。心はシュールレアリズムですもんね(^_^)。
昨日のダリ展は、そういったシュールレアリズム絵画の本物を見られました。
本当なら、ダリの絵画に関してはシュールレアリズムがどういったものなのかをある程度理解した上で見ないといけないんだろうな〜。
シュールレアリズムというのは19世紀の終わり頃から20世紀前半に出てきた考え方で、それを絵画や文学的表現として現したものなのです。
それは、人の心の中を表現したもので、当時では最先端の考え方だったと思います。
この考え方に大きく影響したのは、同時代のフロイトの精神分析の考え方です。精神分析では心の中がどうなっているのかを考えます。今でこそ、心の闇、とかいろんな心の事を表現した言葉を耳にしますが、当時は一部の人しか知らないことでした。あまりにも最先端で、ほとんどの人は理解できない、現実を超えたもの、と言う事でシュール(超える)レアリズム(現実主義)と呼ばれています。
ダリの他には、キリコ、マックス・エルンストなどが有名な画家。エルンストは文学的な作品も幾つか書いています。もちろん、一読して理解できる作品ではありませんが(笑)。
不思議なのは、これらの人々がこぞったようにこの時代に出てきたことです。きっとこういうのが時代の流れというものなのでしょうね。
その流れは、今でも続いていますし、シュールレアリズム的な絵画手法で描かれる絵なんて珍しくなくなりました。
心の事もそれと同じくらい知られつつありますが、その中の複雑さについてはまだまだ理解できるところではないのでしょう。心はシュールレアリズムですもんね(^_^)。
昨日のダリ展は、そういったシュールレアリズム絵画の本物を見られました。
”ダリ展後記”のあとちょっとだけ続く
