ちりぬるをわか
日々のちょっとした事。で、いろんなことがあったりなかったり。

鉢植えのクローバーのその後ですが
五つ葉のものはあまり目立たないままで、ほとんど大きくならずにきました。
ところがこのところ急に暑くなったからか、生えているクローバーの殆どが色褪せして
元気がなくなってきました。
朝方は日が当たるのかなと思って日陰に置いたと工夫したのですが
残念なことに急に枯れてしまったのでした。
一年以上育っていたのになあ。
まあここまで水だけで伸び放題だったが良くもったかなという気もします。
結局鉢植えの五つ葉というのは普通の三つ葉のクローバーの葉の下から二枚が出ている感じで
パッとみて5枚あるというのはわかりづらいものでしたが
確かに見られただけでも良しとしましょう。
五つ葉のものはあまり目立たないままで、ほとんど大きくならずにきました。
ところがこのところ急に暑くなったからか、生えているクローバーの殆どが色褪せして
元気がなくなってきました。
朝方は日が当たるのかなと思って日陰に置いたと工夫したのですが
残念なことに急に枯れてしまったのでした。
一年以上育っていたのになあ。
まあここまで水だけで伸び放題だったが良くもったかなという気もします。
結局鉢植えの五つ葉というのは普通の三つ葉のクローバーの葉の下から二枚が出ている感じで
パッとみて5枚あるというのはわかりづらいものでしたが
確かに見られただけでも良しとしましょう。
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この前、考えた事を補えるような情報がないかな、とネットで検索してみた。
自分が考えたことなので全くなんの根拠もないことなのだけど、それに近い(と思われる・笑)仮説をみつけた。
もちろん大まかに似ているというだけで、あちらはアメリカの大学の教授だかが唱えた理論で、
その中の一部が似たようなものだと言う程度。
2014年だかの日付で、このセンセイの理論を簡単に「解説」したという理化学研究所が出したPDFにざっと目を通してみた。まあ数式が全く分からないが概念を理解するのには数式は無くても大丈夫(笑)。
大まかなところは分かるような気がするし、自分が近いところに目を向けていたらしいというのもわかった。
この偉いセンセイの理論も仮説の段階で実験で確かめているところで、今後発展していくらしいが、個人的には、こうじゃないのかと思う展開に持っていける所が一つ二つあったりする。
こちらが勝手に思っているだけなので笑い話にもならないのだけどね。
その理論の中身はといえば、
人間の記憶はどこに蓄積されるのかというもの。(そもそも記憶というのが何であるのかは一般的な意味合いと医学的なものではずいぶんとかけ離れているのだが)
そこを踏まえた上でどうなんだろ~と考えたのが先週の金曜日だった。
その教授の理論は最新のもので、実験を重ねた結果は確かにそうなのだろう。
でもどこかにそういった考え方を唱えた人が前世紀からいたんじゃないのかな?
もちろんそれは脳や記憶に関する最新のデータに基づいたものではない。
前時代の言葉で書かれたものだし、それを後世の人が読むとまるで神秘主義的に思われてしまうけど、それらの考えを今の時代のレベルで展開していたらあるいは・・、と思ったり。
温故知新とはちょっと違うけど、前世紀以前にあったいろんな考え方を様々に展開して、今の時代にすりあわせてみるというのも面白い、と思った。
そんなこんなですっかり夕方になってしまった^^;。
自分が考えたことなので全くなんの根拠もないことなのだけど、それに近い(と思われる・笑)仮説をみつけた。
もちろん大まかに似ているというだけで、あちらはアメリカの大学の教授だかが唱えた理論で、
その中の一部が似たようなものだと言う程度。
2014年だかの日付で、このセンセイの理論を簡単に「解説」したという理化学研究所が出したPDFにざっと目を通してみた。まあ数式が全く分からないが概念を理解するのには数式は無くても大丈夫(笑)。
大まかなところは分かるような気がするし、自分が近いところに目を向けていたらしいというのもわかった。
この偉いセンセイの理論も仮説の段階で実験で確かめているところで、今後発展していくらしいが、個人的には、こうじゃないのかと思う展開に持っていける所が一つ二つあったりする。
こちらが勝手に思っているだけなので笑い話にもならないのだけどね。
その理論の中身はといえば、
人間の記憶はどこに蓄積されるのかというもの。(そもそも記憶というのが何であるのかは一般的な意味合いと医学的なものではずいぶんとかけ離れているのだが)
そこを踏まえた上でどうなんだろ~と考えたのが先週の金曜日だった。
その教授の理論は最新のもので、実験を重ねた結果は確かにそうなのだろう。
でもどこかにそういった考え方を唱えた人が前世紀からいたんじゃないのかな?
もちろんそれは脳や記憶に関する最新のデータに基づいたものではない。
前時代の言葉で書かれたものだし、それを後世の人が読むとまるで神秘主義的に思われてしまうけど、それらの考えを今の時代のレベルで展開していたらあるいは・・、と思ったり。
温故知新とはちょっと違うけど、前世紀以前にあったいろんな考え方を様々に展開して、今の時代にすりあわせてみるというのも面白い、と思った。
そんなこんなですっかり夕方になってしまった^^;。


あれこれとぼんやり思い巡らせていたら
昔見た映画のセリフを思い出した。
もう35年前になる。
その当時だから映画館に足を運んだ。
あまりメジャーな映画ではなかったので小さな映画館で探して行った覚えがある。
映画は明治の中頃の設定で
岩手遠野を舞台にした(柳田国男の遠野物語を下敷きにしている)悲話ストーリー。
でこの映画の最後に、囲炉裏端で老人が出てきて
この話はこれでおしまいだ、というようなことを言う。
つまり、映画の話自体が、遠野地方のとある家の囲炉裏端で語られたお話だったという2重の設定になってる。
この老人が最後に言うセリフが
「(今、話した)物語はぁ一晩で、終わるが、人は死ぬまで生ぎねばなんね」というもの。
このセリフを未だに覚えていて、時々思い巡らせている。
もしかしたらどこかでこの話を書いたかもしれないが、それほど何度も繰り返し思い出すセリフだと言うことなのです。
映画を見た時は、なるほど上手いこというなあと思ったが、
今はそのセリフにもっと実感を込めて考えるようになってきたなあ。
なんて事を思ってみた。
昔見た映画のセリフを思い出した。
もう35年前になる。
その当時だから映画館に足を運んだ。
あまりメジャーな映画ではなかったので小さな映画館で探して行った覚えがある。
映画は明治の中頃の設定で
岩手遠野を舞台にした(柳田国男の遠野物語を下敷きにしている)悲話ストーリー。
でこの映画の最後に、囲炉裏端で老人が出てきて
この話はこれでおしまいだ、というようなことを言う。
つまり、映画の話自体が、遠野地方のとある家の囲炉裏端で語られたお話だったという2重の設定になってる。
この老人が最後に言うセリフが
「(今、話した)物語はぁ一晩で、終わるが、人は死ぬまで生ぎねばなんね」というもの。
このセリフを未だに覚えていて、時々思い巡らせている。
もしかしたらどこかでこの話を書いたかもしれないが、それほど何度も繰り返し思い出すセリフだと言うことなのです。
映画を見た時は、なるほど上手いこというなあと思ったが、
今はそのセリフにもっと実感を込めて考えるようになってきたなあ。
なんて事を思ってみた。
