ちりぬるをわか
日々のちょっとした事。で、いろんなことがあったりなかったり。

今日も3曲の練習でした。
練習のポイントもいつもと変わらずで、それぞれの曲にそれぞれの課題。
ここ数日ひっかかってるのは子守唄のターンについて。
今日はできるだけ素早いターンを心がけたのだけど、考え考えやっていると指が動かなくなる。
他の曲でもそうなのだけど、意識しすぎると間違える^^;。
もっとテンポに乗るというのか、自然に音がでるような吹き方が出来るといいなあと思う。
曲のイメージとか曲想とか、そういうものを憶えてしまえばあとは勝手に指が動いてくれる。
そんな吹き方がしたいなあ、ともうずっと思っている。
だけど実際にはなかなか上手くはならないね^^;。
今日は調子今ひとつだったのか、なかなか気に入った音がでなくて、何度も同じところを繰り返していた。
上手く行かない時のほうが多い。
でも少しずつ上手く行くときが増えてくれば少しは上達してるってことだなあ。
フルートの時も同じ事を考えたような気がする。
このあたりは全然進歩してないね(笑)。
練習のポイントもいつもと変わらずで、それぞれの曲にそれぞれの課題。
ここ数日ひっかかってるのは子守唄のターンについて。
今日はできるだけ素早いターンを心がけたのだけど、考え考えやっていると指が動かなくなる。
他の曲でもそうなのだけど、意識しすぎると間違える^^;。
もっとテンポに乗るというのか、自然に音がでるような吹き方が出来るといいなあと思う。
曲のイメージとか曲想とか、そういうものを憶えてしまえばあとは勝手に指が動いてくれる。
そんな吹き方がしたいなあ、ともうずっと思っている。
だけど実際にはなかなか上手くはならないね^^;。
今日は調子今ひとつだったのか、なかなか気に入った音がでなくて、何度も同じところを繰り返していた。
上手く行かない時のほうが多い。
でも少しずつ上手く行くときが増えてくれば少しは上達してるってことだなあ。
フルートの時も同じ事を考えたような気がする。
このあたりは全然進歩してないね(笑)。
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ラジオの英会話で初めて聞いたのだけど、断捨離という意味でdeclutteringという言葉が使われいた。
de+clutter+ingという言葉の成り立ちで
clutterというのが物が散乱している状態で、その進行形のingがついている。
頭のdeは否定打ち消しの意味合いで散らかっているものを無くす、散らかさない、乱雑ではない状態にするという意味になり、それが意訳として断捨離という語になっている。
そういう言葉があるというのは、あちらでも物が散乱した状態の人が多いということなのでしょうね。
そういうシンプルな身の回り、生活を送りたい人の事をミニマリスト(最小のもので生活する人の意味)と呼ぶ。
そういう事を聞いたり読んだりすると、つい方丈記を思い出してしまう。
でもちょっと待てよ?
確かに方丈記というのは最低限度の生活空間で慎ましく質素に生きてる事が書かれているのだけど、その際の最低限度必要だと思う品々って、現代の生活ではとてもじゃないけどやっていけないレベルなんだと気がついた。
方丈の草庵(4畳半程度の広さ)に持ち込んだものは仏像、本、楽器(琴と琵琶)その他に生活用品としてスノコ、漆器なども当然あったわけです。自給自足、小さな畑と山野から食べられるものを摘んでくるとか、そういったことは当時だから出来ること。水道代も光熱費も必要ないわけで^^;。
今は物がありすぎる、それは確かだけど、社会の制度自体が複雑になりすぎているのも事実だと思うのです。そしてそれらに慣れすぎてしまい、それなしでは生きられない。方丈記の時代は夢の夢なのかもしれないなあ、なんて思ってしまったのでした。
余談:鴨長明は売れないミュージシャンで30歳までニートだったという言い方をする人もいたりします(笑)。だから山の中に移って暮らしたとか言う見方もあるのですが。
果たして真相はいかに??
de+clutter+ingという言葉の成り立ちで
clutterというのが物が散乱している状態で、その進行形のingがついている。
頭のdeは否定打ち消しの意味合いで散らかっているものを無くす、散らかさない、乱雑ではない状態にするという意味になり、それが意訳として断捨離という語になっている。
そういう言葉があるというのは、あちらでも物が散乱した状態の人が多いということなのでしょうね。
そういうシンプルな身の回り、生活を送りたい人の事をミニマリスト(最小のもので生活する人の意味)と呼ぶ。
そういう事を聞いたり読んだりすると、つい方丈記を思い出してしまう。
でもちょっと待てよ?
確かに方丈記というのは最低限度の生活空間で慎ましく質素に生きてる事が書かれているのだけど、その際の最低限度必要だと思う品々って、現代の生活ではとてもじゃないけどやっていけないレベルなんだと気がついた。
方丈の草庵(4畳半程度の広さ)に持ち込んだものは仏像、本、楽器(琴と琵琶)その他に生活用品としてスノコ、漆器なども当然あったわけです。自給自足、小さな畑と山野から食べられるものを摘んでくるとか、そういったことは当時だから出来ること。水道代も光熱費も必要ないわけで^^;。
今は物がありすぎる、それは確かだけど、社会の制度自体が複雑になりすぎているのも事実だと思うのです。そしてそれらに慣れすぎてしまい、それなしでは生きられない。方丈記の時代は夢の夢なのかもしれないなあ、なんて思ってしまったのでした。
余談:鴨長明は売れないミュージシャンで30歳までニートだったという言い方をする人もいたりします(笑)。だから山の中に移って暮らしたとか言う見方もあるのですが。
果たして真相はいかに??


今日の調子も今ひとつ。
ふらつき感が一日つきまとっています。
それだからと言うこともないのだろうけど、指の動きも今ひとつ。
今日は陶器のオカリナを使って最近の3曲を練習。
一度通してみて指が上手く動かなかった所を反復していたのですが、
右手の小指が攣りそうになりました^^;。
特に子守唄の高音でのターンがきつい。
調子が良い時はそれなりにこなせるのですが、今日はダメダメ。
しかも高音だと左手は小指だけで押さえるような運指になるので
自分のひ弱な小指にはかなり負担が大きいのですね。
ということで、今日はダメダメではありましたが
指がつる~~~~!!><と叫びながら一時間ほど練習していました(笑)。
陶器オカリナは250グラム。
プラは150グラム程。
この100グラムの違いは大きいのです。
陶器だとかプラだとかよりも軽さにこだわってるというのが正しのでしょうね。
アルトCは上記の重さですが、ソプラノなら陶器でもかなり軽いし
プラでもダブルとかトリプルになるとかなり大きいし重さもありそうですからね。
ダブルというのは右手の穴が2列、トリプルは3列
それぞれ2オクターブ、3オクターブ吹けるオカリナです。
詳しくは検索してみてね^^。
陶器でも軽いのはあるようですが、それなりのお値段。
それよりも、プラのように気軽に扱えないのが残念。
ふらつき感が一日つきまとっています。
それだからと言うこともないのだろうけど、指の動きも今ひとつ。
今日は陶器のオカリナを使って最近の3曲を練習。
一度通してみて指が上手く動かなかった所を反復していたのですが、
右手の小指が攣りそうになりました^^;。
特に子守唄の高音でのターンがきつい。
調子が良い時はそれなりにこなせるのですが、今日はダメダメ。
しかも高音だと左手は小指だけで押さえるような運指になるので
自分のひ弱な小指にはかなり負担が大きいのですね。
ということで、今日はダメダメではありましたが
指がつる~~~~!!><と叫びながら一時間ほど練習していました(笑)。
陶器オカリナは250グラム。
プラは150グラム程。
この100グラムの違いは大きいのです。
陶器だとかプラだとかよりも軽さにこだわってるというのが正しのでしょうね。
アルトCは上記の重さですが、ソプラノなら陶器でもかなり軽いし
プラでもダブルとかトリプルになるとかなり大きいし重さもありそうですからね。
ダブルというのは右手の穴が2列、トリプルは3列
それぞれ2オクターブ、3オクターブ吹けるオカリナです。
詳しくは検索してみてね^^。
陶器でも軽いのはあるようですが、それなりのお値段。
それよりも、プラのように気軽に扱えないのが残念。
