ちりぬるをわか
日々のちょっとした事。で、いろんなことがあったりなかったり。

今朝は空も晴れて気圧も良いのですが、軽いめまい状態です。
目が回るという回転性ではなくて、身体を傾げるとふわっと重力に引かれる感じのやつです。
気圧が下がるとめまいが・・ということばかり気にしていましたが、
それ以外でもこういう状態になってもおかしくない体調なのでしょうね。
例の耳体操で血行を良くすると、少しの間はマシになります。
ただ何度もやってると耳が痛くなるので、続けては出来ない耳ひっぱり体操なのです^^;。
おそらく、内耳の状態が何らかの理由でおかしくなっているんだと思います。
原因はいろいろ考えられるのですが、自分の耳の中を自分で見るわけにもいかない(笑)。
この後、時間経過でましになるかも知れないし、天気が良いので歩きに出るのも良いかも^^。
でも、昨日は結局借りてきた小説読んでないのですよね~^^;。
それも気になります!
まあ無理しないように過ごせばいいだけのことです。
ということで一日スタートです。
9時過ぎ追記
朝食を食べたらずいぶんとましになりました。
もしかしてお腹空いていたのが原因の一つかな?
目が回るという回転性ではなくて、身体を傾げるとふわっと重力に引かれる感じのやつです。
気圧が下がるとめまいが・・ということばかり気にしていましたが、
それ以外でもこういう状態になってもおかしくない体調なのでしょうね。
例の耳体操で血行を良くすると、少しの間はマシになります。
ただ何度もやってると耳が痛くなるので、続けては出来ない耳ひっぱり体操なのです^^;。
おそらく、内耳の状態が何らかの理由でおかしくなっているんだと思います。
原因はいろいろ考えられるのですが、自分の耳の中を自分で見るわけにもいかない(笑)。
この後、時間経過でましになるかも知れないし、天気が良いので歩きに出るのも良いかも^^。
でも、昨日は結局借りてきた小説読んでないのですよね~^^;。
それも気になります!
まあ無理しないように過ごせばいいだけのことです。
ということで一日スタートです。
9時過ぎ追記
朝食を食べたらずいぶんとましになりました。
もしかしてお腹空いていたのが原因の一つかな?
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数日譜面を見ながらの練習をサボっていたオカリナ。
今日、譜面を見て吹いたら間違いだらけで失笑ものでした。
決めた曲は、出来るようになったからと練習を止めてはダメなのですね。
譜面を見なくても吹ける程度になるまでは、譜面とにらめっこして頭を動かしていないと^^;。
色んな曲が吹けるようになりたいけど、やっぱり忘れないように通しで一度二度は吹かなくちゃ。
・・・と今更思ったのでした。
今日、譜面を見て吹いたら間違いだらけで失笑ものでした。
決めた曲は、出来るようになったからと練習を止めてはダメなのですね。
譜面を見なくても吹ける程度になるまでは、譜面とにらめっこして頭を動かしていないと^^;。
色んな曲が吹けるようになりたいけど、やっぱり忘れないように通しで一度二度は吹かなくちゃ。
・・・と今更思ったのでした。


昨夜まで読んでいた「空」に関する本について。
般若心経の空についての章に入っていたが、どうも自分の考えとの間に差異が見えはじめてきた。それがこの教授先生の論点なのだけど、論点がズレてきてるように思えて、なんとなく受け入れられない。確かに言っていることは、そういう展開もあるかなとは思うが、ストレートじゃない。
この教授先生が持っていきたい方向性もわかるのだけど、理屈では無いところで自分の中に収まっていない感じになってしまった。そのまま他人様の考えを鵜呑みにしても飲みこなせないだろうから、この本はここでいったん閉じることにした。
自自分が思い考えたことはあくまでも「個人の見解」。なんの根拠も無い上に、自分自身は宗教学や仏教学は全くわからない門外漢。うん、おそらく、間違いなく、自分の考え方が違ってるのだろうネ。
だけどそれはそれで構わないんじゃないかとも思う。
解脱するために空を考えていたわけじゃない、という言い訳もある(笑)。今の自分が、どう考えてどう受け止めるかは、宗教や仏教のためではない。自分が納得したいだけなのだ。
シンプルに「空」ってなに?と問うて答えを出したい。それだけのこと。
おそらく昔の人もそういう思いから始まって考え論じ合った結果おびただしい書が残されているんだろう。
でもどれか正しい解釈だというのが実際に存在するのかどうかすら分からない。
もしかしたら全て違ってるのかもしれない。
またもしかしたら全て正しいのかも知れない。
一つ言えるのは、自分の遥か数千年前に考えられた「色即是空」という言葉が与えてくれるものは、自分がそこから感じた「何か」それを受け止めて自分の中に収めた「何か」の分だけなんだと思う。
そういう意味では、「空」ってなんなのか、どういうものなのか、という答え=「何か」はすでにある。
ということで、次は昨年の8月に予約した本を読みましょ^^。
今朝は少し?かなり?肌寒く感じる雲の多い朝。
この後どこまで気温が上がるのか、体の調子にも注意です・
般若心経の空についての章に入っていたが、どうも自分の考えとの間に差異が見えはじめてきた。それがこの教授先生の論点なのだけど、論点がズレてきてるように思えて、なんとなく受け入れられない。確かに言っていることは、そういう展開もあるかなとは思うが、ストレートじゃない。
この教授先生が持っていきたい方向性もわかるのだけど、理屈では無いところで自分の中に収まっていない感じになってしまった。そのまま他人様の考えを鵜呑みにしても飲みこなせないだろうから、この本はここでいったん閉じることにした。
自自分が思い考えたことはあくまでも「個人の見解」。なんの根拠も無い上に、自分自身は宗教学や仏教学は全くわからない門外漢。うん、おそらく、間違いなく、自分の考え方が違ってるのだろうネ。
だけどそれはそれで構わないんじゃないかとも思う。
解脱するために空を考えていたわけじゃない、という言い訳もある(笑)。今の自分が、どう考えてどう受け止めるかは、宗教や仏教のためではない。自分が納得したいだけなのだ。
シンプルに「空」ってなに?と問うて答えを出したい。それだけのこと。
おそらく昔の人もそういう思いから始まって考え論じ合った結果おびただしい書が残されているんだろう。
でもどれか正しい解釈だというのが実際に存在するのかどうかすら分からない。
もしかしたら全て違ってるのかもしれない。
またもしかしたら全て正しいのかも知れない。
一つ言えるのは、自分の遥か数千年前に考えられた「色即是空」という言葉が与えてくれるものは、自分がそこから感じた「何か」それを受け止めて自分の中に収めた「何か」の分だけなんだと思う。
そういう意味では、「空」ってなんなのか、どういうものなのか、という答え=「何か」はすでにある。
ということで、次は昨年の8月に予約した本を読みましょ^^。
今朝は少し?かなり?肌寒く感じる雲の多い朝。
この後どこまで気温が上がるのか、体の調子にも注意です・
