ちりぬるをわか
日々のちょっとした事。で、いろんなことがあったりなかったり。

少し前に書店に行った折に安い万年筆を買った。
最近はとても安価な、350円とか400円という値段で筆記メーカーから万年筆が出ている。
それが前から気になっていて、値段も安いので思い切って一本買った。
替えのインクカートリッジ、2本で100円も合わせて買った。
しばらく手帳にこの万年筆を使ってみて思った。
今までのものは極細のもので、ちまちまと小さい字を書くのに向いていたのだけど、万年筆はそうもいかない。自然と字も大きくなる。
しばらくは大きさに違和感があったけど、ふと、字が大きいほうが楽なのだと気付いた。
それと、字が汚くても大きいとなんとなく何を書いたかわかる・・ということもわかった。
なかなか使い勝手がいいかもしれないと思いながら使ってる。
極細は、行間に細かいメモを入れるとき用に万年筆とセットにして置いてある。
万年筆って年取った人が使うイメージがあったのだけど、書きやすいだけじゃなく見やすい大きさの字というのもポイントなんだ、と納得してしまった。
最近めっきり目が弱ってきたなあと思うようになったが、こんなこともその現れの一つなんだろうなあ。
眼科にも行かなくちゃと思った。
思い立ったが、ということで先程近所の眼科に予約を入れておいた。
診察時間は10時頃なので、行ってきましょ。
最近はとても安価な、350円とか400円という値段で筆記メーカーから万年筆が出ている。
それが前から気になっていて、値段も安いので思い切って一本買った。
替えのインクカートリッジ、2本で100円も合わせて買った。
しばらく手帳にこの万年筆を使ってみて思った。
今までのものは極細のもので、ちまちまと小さい字を書くのに向いていたのだけど、万年筆はそうもいかない。自然と字も大きくなる。
しばらくは大きさに違和感があったけど、ふと、字が大きいほうが楽なのだと気付いた。
それと、字が汚くても大きいとなんとなく何を書いたかわかる・・ということもわかった。
なかなか使い勝手がいいかもしれないと思いながら使ってる。
極細は、行間に細かいメモを入れるとき用に万年筆とセットにして置いてある。
万年筆って年取った人が使うイメージがあったのだけど、書きやすいだけじゃなく見やすい大きさの字というのもポイントなんだ、と納得してしまった。
最近めっきり目が弱ってきたなあと思うようになったが、こんなこともその現れの一つなんだろうなあ。
眼科にも行かなくちゃと思った。
思い立ったが、ということで先程近所の眼科に予約を入れておいた。
診察時間は10時頃なので、行ってきましょ。
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と昨日は書いた。
でも無理しないってどういうことなんだろうと昨夜は思った。
昨日の昼間、川沿いに下って海までゆっくり行ってみた。
浜までの距離は4キロちょっとで、前にも歩いたり走ったりのてくてくで何度も行っている。
オカリナを吹いたり、おにぎりを食べて戻ってくる浜辺。
そこを昨日はゆっくり走って行った。
途中いくつも横断歩道があり信号待ちで引っかかるが、待ってる間も軽く体を動かしている。
そうしないと、その後かえってペースが乱れて辛くなる。
結局、今までは歩かないと無理かと思っていた距離を、なんとか歩かずに到着できた。
ペースがゆっくりならなんとか行けるんだ。そう思ったら、無理しないってどういうことなんだろう・・・とまず思ってしまった。
浜で少し休憩してから帰路についた。
またゆっくり走ってみたが、今度はゆるい上りだからか、キツくなったので途中の1キロほどを歩いた。(ここは走ったり歩いたりする人が多いからか、500mごとに標識が設けられてる便利な道)
最後はまた1キロちょっとゆっくり走りに戻して帰り着いた。
そのあと少し呼吸を整えるため10分ほど近所を歩いてから家に戻る。
これもゆっくりジョギングを始めてからずっとやってることで、信号待ちで止まってしまうのと同じ理屈で、いきなりペースを落とすのは体に良くない。おかげで、最近は家に戻ってもぐったりということは無かった。
が、昨日は流石に距離も時間もいつもの倍以上になったので、その分疲れてしまったらしい。
現在、少々体力消耗中なのが、体のあちこちの不具合でわかる。やっぱり便利かも。
走ってる途中は無理していたと思わないけど、後で調子が落ちるのは無理してるって言うことなんだろうか?
そのあたりは体の調子とか年齢とか考えて、ってことなのかな?
でも、結局、こういうことって何でも同じだ。
どこが無理でどこが無理でないかの見極めって、数をこなすしかないんだろうな。
自分だけがわかるペースって自分でしかつかめないんだなあ、ってアタリマエのことを思ってしまった。
でも無理しないってどういうことなんだろうと昨夜は思った。
昨日の昼間、川沿いに下って海までゆっくり行ってみた。
浜までの距離は4キロちょっとで、前にも歩いたり走ったりのてくてくで何度も行っている。
オカリナを吹いたり、おにぎりを食べて戻ってくる浜辺。
そこを昨日はゆっくり走って行った。
途中いくつも横断歩道があり信号待ちで引っかかるが、待ってる間も軽く体を動かしている。
そうしないと、その後かえってペースが乱れて辛くなる。
結局、今までは歩かないと無理かと思っていた距離を、なんとか歩かずに到着できた。
ペースがゆっくりならなんとか行けるんだ。そう思ったら、無理しないってどういうことなんだろう・・・とまず思ってしまった。
浜で少し休憩してから帰路についた。
またゆっくり走ってみたが、今度はゆるい上りだからか、キツくなったので途中の1キロほどを歩いた。(ここは走ったり歩いたりする人が多いからか、500mごとに標識が設けられてる便利な道)
最後はまた1キロちょっとゆっくり走りに戻して帰り着いた。
そのあと少し呼吸を整えるため10分ほど近所を歩いてから家に戻る。
これもゆっくりジョギングを始めてからずっとやってることで、信号待ちで止まってしまうのと同じ理屈で、いきなりペースを落とすのは体に良くない。おかげで、最近は家に戻ってもぐったりということは無かった。
が、昨日は流石に距離も時間もいつもの倍以上になったので、その分疲れてしまったらしい。
現在、少々体力消耗中なのが、体のあちこちの不具合でわかる。やっぱり便利かも。
走ってる途中は無理していたと思わないけど、後で調子が落ちるのは無理してるって言うことなんだろうか?
そのあたりは体の調子とか年齢とか考えて、ってことなのかな?
でも、結局、こういうことって何でも同じだ。
どこが無理でどこが無理でないかの見極めって、数をこなすしかないんだろうな。
自分だけがわかるペースって自分でしかつかめないんだなあ、ってアタリマエのことを思ってしまった。


9月になった。
先程スーパーで麦茶パックの新しいのを買おうと思ったら、
それまで麦茶パックが山積みされていたカウンターには別のものが所狭しと並んでいた。
もう夏は終わったんだと思った。
涼しくなったわけではなく、今日も蒸し暑さで少し歩くと汗がにじむ。
体調も相変わらずだけど、無理しない(と自分では思ってる)程度にゆっくりジョギングも続けている。
30分走れたらいいなとは思うけど、様子を見ながら走ってしんどいときそこで終わり。
そもそもそれ以上は足が出ないので終わりなってしまう。
流石に気持ちだけでは体は動かないというのもわかるお年頃。
自分の気持ちよりも体が動くかどうかで判断していいんだと思う。
夏は終わっても無理はしない。
先程スーパーで麦茶パックの新しいのを買おうと思ったら、
それまで麦茶パックが山積みされていたカウンターには別のものが所狭しと並んでいた。
もう夏は終わったんだと思った。
涼しくなったわけではなく、今日も蒸し暑さで少し歩くと汗がにじむ。
体調も相変わらずだけど、無理しない(と自分では思ってる)程度にゆっくりジョギングも続けている。
30分走れたらいいなとは思うけど、様子を見ながら走ってしんどいときそこで終わり。
そもそもそれ以上は足が出ないので終わりなってしまう。
流石に気持ちだけでは体は動かないというのもわかるお年頃。
自分の気持ちよりも体が動くかどうかで判断していいんだと思う。
夏は終わっても無理はしない。
