ちりぬるをわか
日々のちょっとした事。で、いろんなことがあったりなかったり。

相変わらずくしゃみがでる。
鼻づまりもそのままだし、喉の奥も痛い。
風邪なのかどうなのかも分からないのだけど、すっかり身体と気持ちが鈍ってしまって、積極的に動こうという気分にならない。
そんな日々だけど、ちょこちょこと何かを書くことだけはつづいていて、手帳とは別に思いついたことを書き留めるメモ用紙やノートもあちこちに散らばっている。
が、一昨日ノートを使い切ってしまったので、昨日は近くの生協まで出向いた。
思ったよりも寒くなかったので、近所の池へ寄って蝋梅が咲いているのを見たり、水鳥が何かを食べているのを眺めたり久しぶりに外へ出たような気になった。
ノートはコクヨのキャンパス、100ページのものを買ってきた。これならちょっとやそっとでは使い切らないだろうと思う(笑)。
鼻づまりもそのままだし、喉の奥も痛い。
風邪なのかどうなのかも分からないのだけど、すっかり身体と気持ちが鈍ってしまって、積極的に動こうという気分にならない。
そんな日々だけど、ちょこちょこと何かを書くことだけはつづいていて、手帳とは別に思いついたことを書き留めるメモ用紙やノートもあちこちに散らばっている。
が、一昨日ノートを使い切ってしまったので、昨日は近くの生協まで出向いた。
思ったよりも寒くなかったので、近所の池へ寄って蝋梅が咲いているのを見たり、水鳥が何かを食べているのを眺めたり久しぶりに外へ出たような気になった。
ノートはコクヨのキャンパス、100ページのものを買ってきた。これならちょっとやそっとでは使い切らないだろうと思う(笑)。
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日光東照宮に逆さまに建てられた柱があるというのを思い出した。
実際には見たことはないけど、かなり有名らしい。
わざと逆さまに立てた柱。
そうしたのは、完全なものを造ると神様がお怒りになると言われているから、というのが俗説。
どうやら完全なものは、本来人が入ってはいけない神の領域にまで踏み込んでしまうと考えられていたのだろうかね。
でも本当は、完全なものはそれ以上発展しない、あとは朽ちていくだけだから一つ不完全なものを入れることで久しく世に残るようにしたかった、という考えがあったらしい。
東照宮以外でもアチラコチラで似たような考え方はあるそうだ。
逆さまの柱だけではなく、棟梁の甚五郎が道具を置き忘れて・・とかいうのも同じで、その建造物が未だ完成していないという意味合いを持たせているとも言われる。
どうも完全なものはあまり好かれないというのが国民性なのかもね^^。
実際には見たことはないけど、かなり有名らしい。
わざと逆さまに立てた柱。
そうしたのは、完全なものを造ると神様がお怒りになると言われているから、というのが俗説。
どうやら完全なものは、本来人が入ってはいけない神の領域にまで踏み込んでしまうと考えられていたのだろうかね。
でも本当は、完全なものはそれ以上発展しない、あとは朽ちていくだけだから一つ不完全なものを入れることで久しく世に残るようにしたかった、という考えがあったらしい。
東照宮以外でもアチラコチラで似たような考え方はあるそうだ。
逆さまの柱だけではなく、棟梁の甚五郎が道具を置き忘れて・・とかいうのも同じで、その建造物が未だ完成していないという意味合いを持たせているとも言われる。
どうも完全なものはあまり好かれないというのが国民性なのかもね^^。


母親のところへ行って用を済ませて、お茶を飲んで行ったらというので少し雑談をしていた。
ひょんなことから昔ギターを始めた頃の話になった。
ギターやるのなら習いに行ったらいいよと母親は行ったそうだが、全く覚えていない。
その時の返事が
自分でやるからいい、と断ったそうで、それも全く覚えていない^^;。
そのあと考えてみて、幾つか楽器をやったけど、ちゃんと習ったことは殆ど無いのだと思い出した。学校でやっていた金管楽器は確かに教わったうちにはいる。でも学校にあった楽器は勝手に触れたので、自分で手にとって自己流でやってたものがいくつもあった。
コントラバス、というかウッドベースとして指で弾いて遊んでいたこともあった。
フルートもそうだし、今やってる笛もオカリナも全部自己流なのだ。
昔、そう、幼少のみぎりに音楽教室に通っていた。
何がきっかけだったのかわからない。
多分母親が行かせたのだろうが、あまり記憶に残っていないのでわからないのだ。
これも母親に聞けばわかるだろうから、また今度聞いてみようと思う。
もしかしたら、その音楽教室があまり好きじゃなかったのかもしれない、と勝手に想像したりする。その反動で楽器を教わるというのが好きじゃなくなったのかもしれない?
でも楽器以外でも習うより慣れろでいろいろやってたことから考えると、なんでも自分でやる気でいたんじゃないかな?
今でもそれは変わっていないようで、三つ子の魂はとりあえず今の歳になっても変わらないままなんだろう。
うーん。
ひょんなことから昔ギターを始めた頃の話になった。
ギターやるのなら習いに行ったらいいよと母親は行ったそうだが、全く覚えていない。
その時の返事が
自分でやるからいい、と断ったそうで、それも全く覚えていない^^;。
そのあと考えてみて、幾つか楽器をやったけど、ちゃんと習ったことは殆ど無いのだと思い出した。学校でやっていた金管楽器は確かに教わったうちにはいる。でも学校にあった楽器は勝手に触れたので、自分で手にとって自己流でやってたものがいくつもあった。
コントラバス、というかウッドベースとして指で弾いて遊んでいたこともあった。
フルートもそうだし、今やってる笛もオカリナも全部自己流なのだ。
昔、そう、幼少のみぎりに音楽教室に通っていた。
何がきっかけだったのかわからない。
多分母親が行かせたのだろうが、あまり記憶に残っていないのでわからないのだ。
これも母親に聞けばわかるだろうから、また今度聞いてみようと思う。
もしかしたら、その音楽教室があまり好きじゃなかったのかもしれない、と勝手に想像したりする。その反動で楽器を教わるというのが好きじゃなくなったのかもしれない?
でも楽器以外でも習うより慣れろでいろいろやってたことから考えると、なんでも自分でやる気でいたんじゃないかな?
今でもそれは変わっていないようで、三つ子の魂はとりあえず今の歳になっても変わらないままなんだろう。
うーん。
