ちりぬるをわか
日々のちょっとした事。で、いろんなことがあったりなかったり。

「街とその不確かな壁」 上下巻 村上春樹 新潮文庫 2025年5月
上巻裏表紙より:十七歳と十六歳の夏の夕暮れ、きみは川べりに腰をおろし、“街“について語り出すーーそれが物語の始まりだった。高い壁と望楼に囲まれた遥か遠くの謎めいた街。そこに“本当の君“がいるという。<古い夢>が並ぶ図書館、石造りの三つの橋、針のない時計台、金雀枝の葉、角笛と金色の獣たち。しかし、その街では人々は影を持たない・・・村上はるきが封印してきた「物語」の扉が今開かれる。
帯:ねえ、わかった? わたしたちは誰かの影に過ぎないのよーー
下巻裏表紙より:図書館のほの暗い館長室で、「私」は「子易さん」に問いかける。孤独や悲しみ、“街“や“影“について・・・。そんなある日、『私」の前に不思議な少年があらわれる。イエロー・サブマリンの絵のついたヨットパーカーをきて、図書館のあらゆる本を読み尽くす少年。彼は自ら描いた謎めいた“街“の地図を携え、影を捨てて壁の内側に入りたいと言うーー二つの世界を往還する物語がふたたび動き出す。
帯:きみが、その街を教えてくれたーー
感想:あまりにもたくさんあり過ぎて書ききれないので、気になった点だけ残しておく。
1)第一部の「きみ」について。まず第一部でどうなったのか?
その答えは第二部で少年がどうなったかと重なるので、そう言うものだと捉えるのならそれはそれでアリだと思うが、その後の「きみ」が果たして図書館の少女なのだろうか、そうだとも言えるしそうでもないとも言えると言うのが答え。
2)単角の金色の獣がなんなのか。これは深層心理学的にとても興味があるんだけど(笑)。もちろん作中にも、作中以外にも答えは出てこない。おそらく筆者も知らないんだろう。けれどこの獣を描くことは必要であり、重要な要素であることは間違いない。
読み手としてはどう見立てれば良いかとワクワクする。
3)第二部に出てくるコーヒーショップの女店長が気になる。その後は出てこないが、この店長も第一部の「きみ」の延長線上にいる存在。そして第二部に出てくる少年は「私」の延長線上にいる構成になってる。
4)第一部が「街」について描いていて、第二部ではその街に残ったはずの「私」が現実に戻って、やがて自分の後継者とも言える少年を連れて街に戻るというのが第三部。
そこに作者の無意識的な意図が隠れているようでこの展開も面白いかな。
あとがきでも「世界の終わり・・」とは別の展開と言ったことを書いてあったが、まさに別展開になったと思う。「世界の終わり」が流れで書かれたものだとすると、「街」は流れに任せるのではなく流れを造った物語だろう。
とりあえずはこの4つを記しておく。
村上春樹の多くの作品は、そこに描かれたものを「なぜ」や「どうして」を問わずにあるがままの文章を味わう、そこから何を思うのかは読み手の味わい方だと思う。
「夢読み」人の夢を読むことがそう言うものであり、受けとって手の中で温めていると自然に何かを伝えてくれるのと同じだから。
以上
と思ったけど追記(笑)。
街ってなに?不確かな壁って何?に対する「一つ」の答え。
『ATフィールドは誰もが持っている心の壁』 by 渚カヲル
上巻裏表紙より:十七歳と十六歳の夏の夕暮れ、きみは川べりに腰をおろし、“街“について語り出すーーそれが物語の始まりだった。高い壁と望楼に囲まれた遥か遠くの謎めいた街。そこに“本当の君“がいるという。<古い夢>が並ぶ図書館、石造りの三つの橋、針のない時計台、金雀枝の葉、角笛と金色の獣たち。しかし、その街では人々は影を持たない・・・村上はるきが封印してきた「物語」の扉が今開かれる。
帯:ねえ、わかった? わたしたちは誰かの影に過ぎないのよーー
下巻裏表紙より:図書館のほの暗い館長室で、「私」は「子易さん」に問いかける。孤独や悲しみ、“街“や“影“について・・・。そんなある日、『私」の前に不思議な少年があらわれる。イエロー・サブマリンの絵のついたヨットパーカーをきて、図書館のあらゆる本を読み尽くす少年。彼は自ら描いた謎めいた“街“の地図を携え、影を捨てて壁の内側に入りたいと言うーー二つの世界を往還する物語がふたたび動き出す。
帯:きみが、その街を教えてくれたーー
感想:あまりにもたくさんあり過ぎて書ききれないので、気になった点だけ残しておく。
1)第一部の「きみ」について。まず第一部でどうなったのか?
その答えは第二部で少年がどうなったかと重なるので、そう言うものだと捉えるのならそれはそれでアリだと思うが、その後の「きみ」が果たして図書館の少女なのだろうか、そうだとも言えるしそうでもないとも言えると言うのが答え。
2)単角の金色の獣がなんなのか。これは深層心理学的にとても興味があるんだけど(笑)。もちろん作中にも、作中以外にも答えは出てこない。おそらく筆者も知らないんだろう。けれどこの獣を描くことは必要であり、重要な要素であることは間違いない。
読み手としてはどう見立てれば良いかとワクワクする。
3)第二部に出てくるコーヒーショップの女店長が気になる。その後は出てこないが、この店長も第一部の「きみ」の延長線上にいる存在。そして第二部に出てくる少年は「私」の延長線上にいる構成になってる。
4)第一部が「街」について描いていて、第二部ではその街に残ったはずの「私」が現実に戻って、やがて自分の後継者とも言える少年を連れて街に戻るというのが第三部。
そこに作者の無意識的な意図が隠れているようでこの展開も面白いかな。
あとがきでも「世界の終わり・・」とは別の展開と言ったことを書いてあったが、まさに別展開になったと思う。「世界の終わり」が流れで書かれたものだとすると、「街」は流れに任せるのではなく流れを造った物語だろう。
とりあえずはこの4つを記しておく。
村上春樹の多くの作品は、そこに描かれたものを「なぜ」や「どうして」を問わずにあるがままの文章を味わう、そこから何を思うのかは読み手の味わい方だと思う。
「夢読み」人の夢を読むことがそう言うものであり、受けとって手の中で温めていると自然に何かを伝えてくれるのと同じだから。
以上
と思ったけど追記(笑)。
街ってなに?不確かな壁って何?に対する「一つ」の答え。
『ATフィールドは誰もが持っている心の壁』 by 渚カヲル
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