ちりぬるをわか
日々のちょっとした事。で、いろんなことがあったりなかったり。

今朝も雲のない空から容赦なく日差しが差し込んできています。
昨日と違って風もないし、すでに温められているのか肌に染み込むような暑さになってます。
今日は二十四節気の白露。
そろそろ朝夕が涼しく感じられて草葉に露も見られようか、という意味。ですが、この夏はなかなか終わらなそうです。
それでも夏場に見かけていた花が枯れ、秋の始まりの花が咲き出しています。
このところはツルボを見るようになりました。暑さが去るのを待っていたような露草の青紫の花にちらほらと見かけるようになりました。
さて、話は変わって・・このところ寝る前にノートを書きながらようつべでリラックスのための環境音を聴いています。
少し前にヒグラシの鳴き声にこだわっていたからでしょうか、延々とヒグラシが泣いている動画を聴いています(笑)。でもそれなりに効果があるということになっていますし、何より自分が聴いていて障りがない感じが良いのです。
リラックス動画でもピアノのBGMだったり風鈴の音とかもありますが、音の質が合わないようで、聞いていて頭に突き刺さるような感じになってしまいました。どうも自然の音があってるようです。川の流れとかも好きですが、今はとりあえずヒグラシ。その日暮らしなんでそれも合ってるのかも(笑)。
徒然草の出だしで、「つれづれなるままに、日暮し硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなくかきつづれば、あやしうこそものくるほしけれ」というのを思い出します。
ここで疑問があるのです。
どうして「つれづなるままに」のあと句読点がつけられたのだろう?兼好の書いたものには句読点がなかったはず(当時は句読点も濁点も書かなかった)。
これは後世の人が、読みやすくするために句読点を入れたもです。大体の本では「つれづれなるままに」で一旦区切るように句読点が入ってます。
でも意味的には徒然なるままに日暮し、までが一つの流れなんじゃないかって思うのですよね。そのあと「硯に向いて心に映るよしなし事を・・・」と続く方がいいんじゃないかなと思うんだけどなあ。
今の句読点では日暮しが硯にかかってる気がする。でも日々の生活が徒然なるままであって、その中から硯に向かう時間があるわけで、一日中硯に向かってる事が主題じゃないでしょう?暇だから色々書いてみた〜っ。こんなこともあった〜ってのがこのあとに続くわけで、暇なのが主眼にあると思うんだ。
でも今の区切りだと、暇だ〜、で一日中書いてみたら〜こんなのだった〜っていう具合に書くことが主になってる気がする。感じられるんだけど??
それとも徒然なるままにから最後のものくるほしけれまで全部が一文としての流れなのか?それも捉えようとしてはありかな。一気に捲し立ててしゃべる感じの吉田兼好とか(笑)。
う〜ん、捉え方の違いなのかな?日本語って難しい><。
それでは、今日も暑くなりそうですので気をつけて過ごしましょ。
良い1日になりますように。
昨日と違って風もないし、すでに温められているのか肌に染み込むような暑さになってます。
今日は二十四節気の白露。
そろそろ朝夕が涼しく感じられて草葉に露も見られようか、という意味。ですが、この夏はなかなか終わらなそうです。
それでも夏場に見かけていた花が枯れ、秋の始まりの花が咲き出しています。
このところはツルボを見るようになりました。暑さが去るのを待っていたような露草の青紫の花にちらほらと見かけるようになりました。
さて、話は変わって・・このところ寝る前にノートを書きながらようつべでリラックスのための環境音を聴いています。
少し前にヒグラシの鳴き声にこだわっていたからでしょうか、延々とヒグラシが泣いている動画を聴いています(笑)。でもそれなりに効果があるということになっていますし、何より自分が聴いていて障りがない感じが良いのです。
リラックス動画でもピアノのBGMだったり風鈴の音とかもありますが、音の質が合わないようで、聞いていて頭に突き刺さるような感じになってしまいました。どうも自然の音があってるようです。川の流れとかも好きですが、今はとりあえずヒグラシ。その日暮らしなんでそれも合ってるのかも(笑)。
徒然草の出だしで、「つれづれなるままに、日暮し硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなくかきつづれば、あやしうこそものくるほしけれ」というのを思い出します。
ここで疑問があるのです。
どうして「つれづなるままに」のあと句読点がつけられたのだろう?兼好の書いたものには句読点がなかったはず(当時は句読点も濁点も書かなかった)。
これは後世の人が、読みやすくするために句読点を入れたもです。大体の本では「つれづれなるままに」で一旦区切るように句読点が入ってます。
でも意味的には徒然なるままに日暮し、までが一つの流れなんじゃないかって思うのですよね。そのあと「硯に向いて心に映るよしなし事を・・・」と続く方がいいんじゃないかなと思うんだけどなあ。
今の句読点では日暮しが硯にかかってる気がする。でも日々の生活が徒然なるままであって、その中から硯に向かう時間があるわけで、一日中硯に向かってる事が主題じゃないでしょう?暇だから色々書いてみた〜っ。こんなこともあった〜ってのがこのあとに続くわけで、暇なのが主眼にあると思うんだ。
でも今の区切りだと、暇だ〜、で一日中書いてみたら〜こんなのだった〜っていう具合に書くことが主になってる気がする。感じられるんだけど??
それとも徒然なるままにから最後のものくるほしけれまで全部が一文としての流れなのか?それも捉えようとしてはありかな。一気に捲し立ててしゃべる感じの吉田兼好とか(笑)。
う〜ん、捉え方の違いなのかな?日本語って難しい><。
それでは、今日も暑くなりそうですので気をつけて過ごしましょ。
良い1日になりますように。
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