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ちりぬるをわか

日々のちょっとした事。で、いろんなことがあったりなかったり。

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朝です。
今日もそこそこ気温が上がりそうな天気になるとか。
もう本当に初夏なんだなあ。

さて、昨夜もブラタモリを見ていました。
舞台は熊野でしたが、どうにも中途半端で切れの悪い内容に感じられましたねえ。

ブラタモリ的地質学的な話も、その程度で終わっちゃうの?というほどスッと終わってしまいました。日本列島の成り立ちにも関わる話なので、そこだけで時間使ってしまえるほど話が有るんじゃないかと思えるのになあ。(笑)

それ以上に違和感が合ったのが神仏習合の話でした。
番組内容を聞くと、神仏習合があたかも熊野にだけしかないような印象を受けるし、それを行ったのも山岳修験僧だとまで言ったのは、ちと違うんじゃない?とツッコミを入れてしまった。
山伏が神仏習合をやったというよりも神仏習合の結果が、この地では山伏の誕生に至ったと見るほうが時代的にも合ってるのでは?

そもそも神仏習合って、仏教が伝わった頃からの話です。それは神道からみるのか仏教からの見るのかでは立場がかわりますが、結果的に2つが融合したもの。それは明治になるまで延々と続いていたものです。それを否定するような形にしたのが明治政府でした。でもその名残は今でも細かく見ていけば各地、いろんなところで見つけられるものです。
ここの市内の神社にもそういう名残は見られる。神社だけしかなくても名残はあるし、神社と仏寺が隣接してるなんて、いくつもあるわけですから。

神仏習合だけではなく、最後に補陀落渡海まで持ち出してきました。たしかに熊野といえば補陀落寺ははずせないのでしょうが、そこは神仏習合を越えてしまった部分だと思っているのですが。
ざっくりと言えば、補陀落渡海は南東の海の彼方に死後の世界があるという考え。どちらかというと、南方系(沖縄などのニライカナイ=海の向こうにある理想郷)の世界観に相当するもの。(あるいは中国の神仙思想というのも関わってるとも)
それが仏教的、観音信仰と集合したと考えられます。当然その思想の伝播は海流にのって東南アジアあたりから来たものです。
なので神道的な考えとは関係ないはず。なのに、そのあたりの話もないまま途切れて海を見て終わり・・・。

盛り込みすぎの土地なのに、説明がほとんどない。表面的な文言を少し取り上げただけの内容だったのがかなり残念でした。
まあ取り上げるとキリがない内容になるのでしかたないのかなあ。
それにしてももう少しうまくもっていけなかったのかなあ・・・と思ったのでした。

では良い一日を。
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