ちりぬるをわか
日々のちょっとした事。で、いろんなことがあったりなかったり。

数年前からなのでしょうか、終活という言葉が聞こえ始めたのは。
先日もえぬえちけーで「人生の終わり方」みたいな番組をやってました。平成という年号が終わるという終末感から「終活」を耳にする機会も一層増えたような気がします。(笑)
例えば、平成も終わるので年賀状も今年で最後(年賀状じまい)にすると言う記事がやふーでも載ってました。どれほどの人がそうやっているかわかりませんが、たとえわずかだとしてもそういった傾向性が見られるとするなら、ますます高齢化社会になっていく日本と言う国自体が終活に向かってるという一端なのかもしれませんね。
一方で健康長寿とか人生100歳とかいうのも聞かれるわけですが、そういうのは高齢者が自分でいい出したことじゃなくて、周りが言ってるだけ。でも現実は、年賀状を書くのも大変、あるいは出すところが無くなったから終わりにしようという高齢者がいるのです。健康長寿という理想と、高齢化のしわ寄せという現実の間は早々埋められるものではないのかもしれませんね。だからこの先どう生きていくかをちゃんと自分自身に持っていなければと思います。
自分自身も、これまで生きてきた時間よりもこの先のほうが遥かに短いと思っています。でも終活という気持ちには至っていません。
そもそも何かをきちんと片付け「立つ鳥跡を濁さず」的な考え方があまりないのです。だから年末の大掃除もしない?とか(笑)。
生きてる間は生きてる。生きてる間は今日も明日も変わらない。明後日になって目を覚まさなければそこで終わり。それだけです。
流石にあれこれと物事を増やす気は(あまり)ありませんが、なにかしら新しいことに向き合って何かを学んでいたい気持ちは忘れたくないのです。そうやっていると終活的な事をする時間がなさそうかもしれないなあ^^;。
なんか小難しい事を書きましたが、まあ、一言で言えば、周りに振り回されないでマイペースで行きましょってことです。
先日もえぬえちけーで「人生の終わり方」みたいな番組をやってました。平成という年号が終わるという終末感から「終活」を耳にする機会も一層増えたような気がします。(笑)
例えば、平成も終わるので年賀状も今年で最後(年賀状じまい)にすると言う記事がやふーでも載ってました。どれほどの人がそうやっているかわかりませんが、たとえわずかだとしてもそういった傾向性が見られるとするなら、ますます高齢化社会になっていく日本と言う国自体が終活に向かってるという一端なのかもしれませんね。
一方で健康長寿とか人生100歳とかいうのも聞かれるわけですが、そういうのは高齢者が自分でいい出したことじゃなくて、周りが言ってるだけ。でも現実は、年賀状を書くのも大変、あるいは出すところが無くなったから終わりにしようという高齢者がいるのです。健康長寿という理想と、高齢化のしわ寄せという現実の間は早々埋められるものではないのかもしれませんね。だからこの先どう生きていくかをちゃんと自分自身に持っていなければと思います。
自分自身も、これまで生きてきた時間よりもこの先のほうが遥かに短いと思っています。でも終活という気持ちには至っていません。
そもそも何かをきちんと片付け「立つ鳥跡を濁さず」的な考え方があまりないのです。だから年末の大掃除もしない?とか(笑)。
生きてる間は生きてる。生きてる間は今日も明日も変わらない。明後日になって目を覚まさなければそこで終わり。それだけです。
流石にあれこれと物事を増やす気は(あまり)ありませんが、なにかしら新しいことに向き合って何かを学んでいたい気持ちは忘れたくないのです。そうやっていると終活的な事をする時間がなさそうかもしれないなあ^^;。
なんか小難しい事を書きましたが、まあ、一言で言えば、周りに振り回されないでマイペースで行きましょってことです。
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