ちりぬるをわか
日々のちょっとした事。で、いろんなことがあったりなかったり。

やや弱り気味かという体調をかかえダラダラと本を読んで過ごしています。
本棚に並んでいるものを適当に取って読み返したり、中陵漫録を拾い読みしたり。
その中陵漫録の中に「オランダの手札」について書かれていて、これが気になったのですがどう調べても当時の事は見つけられませんでした。
曰く
阿蘭陀(オランダ)でも日本と同じで、姓名を書いた「手札」を訪れた家が留守のときなどに置いて行く。
というものです。
この場合「手札」というのはトランプのことではなくそれと同じくらいの大きさの紙片、あるいは木製の物?を指します。
今でいうところの名刺でしょうか。
中陵漫録を書いた佐藤成裕は1700年代後半から1800年代前半の人なので、江戸後期の話ですね。ここから読み取れるのは、当時日本で「手札」が使われていた。それは留守の時などに置いてくるためのもの。そして阿蘭陀でも同じ用途で使われる似たような紙があるということですね。
この続きに、阿蘭陀ではこの手札を「ヒーシートブリヒ」と呼んでいること。そして・・・
「其形をば「ハルト」と云。ハルトと云は心の臓の事也。」とあり、ハートの形をしているという事が書かれています。その後には、色は赤で花がらが描かれている、とあり、自分で写した絵が描かれています。大きさは不明ですが、中陵漫録には原寸大で書かれていた様子。
赤いハートの花がら模様の名刺?の真中に名前を書いて渡すのだそうです。
それも字の上手な人に書いてもらうのだとか。
という話で、この「手札」というのがとても気になりました。
しかしはっきりこれだと言える事はわかりませんでした。
江戸時代に紙を手の平ほどのサイズにしたものに用件や名前を書いて人に渡すというやり取りがあったそうでそれを手札と呼んだこと。それは紙だけではなく、木の板などだと言う解説もあったりもします。
たしかに、似たようなものに通行手形というものがありましたが、これも木の板札だったり紙(手紙)だったりいろいろな形状があったと憶えています。
なので手札もいろんなものがあったのだろうとは推測できるのですが・・・。
何が気になるって、阿蘭陀のハート型の赤い名刺です(笑)。
それってどんなものだろう、実物が残ってるのなら見てみたいなあ。^^
本棚に並んでいるものを適当に取って読み返したり、中陵漫録を拾い読みしたり。
その中陵漫録の中に「オランダの手札」について書かれていて、これが気になったのですがどう調べても当時の事は見つけられませんでした。
曰く
阿蘭陀(オランダ)でも日本と同じで、姓名を書いた「手札」を訪れた家が留守のときなどに置いて行く。
というものです。
この場合「手札」というのはトランプのことではなくそれと同じくらいの大きさの紙片、あるいは木製の物?を指します。
今でいうところの名刺でしょうか。
中陵漫録を書いた佐藤成裕は1700年代後半から1800年代前半の人なので、江戸後期の話ですね。ここから読み取れるのは、当時日本で「手札」が使われていた。それは留守の時などに置いてくるためのもの。そして阿蘭陀でも同じ用途で使われる似たような紙があるということですね。
この続きに、阿蘭陀ではこの手札を「ヒーシートブリヒ」と呼んでいること。そして・・・
「其形をば「ハルト」と云。ハルトと云は心の臓の事也。」とあり、ハートの形をしているという事が書かれています。その後には、色は赤で花がらが描かれている、とあり、自分で写した絵が描かれています。大きさは不明ですが、中陵漫録には原寸大で書かれていた様子。
赤いハートの花がら模様の名刺?の真中に名前を書いて渡すのだそうです。
それも字の上手な人に書いてもらうのだとか。
という話で、この「手札」というのがとても気になりました。
しかしはっきりこれだと言える事はわかりませんでした。
江戸時代に紙を手の平ほどのサイズにしたものに用件や名前を書いて人に渡すというやり取りがあったそうでそれを手札と呼んだこと。それは紙だけではなく、木の板などだと言う解説もあったりもします。
たしかに、似たようなものに通行手形というものがありましたが、これも木の板札だったり紙(手紙)だったりいろいろな形状があったと憶えています。
なので手札もいろんなものがあったのだろうとは推測できるのですが・・・。
何が気になるって、阿蘭陀のハート型の赤い名刺です(笑)。
それってどんなものだろう、実物が残ってるのなら見てみたいなあ。^^
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