ちりぬるをわか
日々のちょっとした事。で、いろんなことがあったりなかったり。
なんとなくぼんやり過ごしていましたが、外は暖かかったようです。
少しボーッとして、あまり動かずに過ごしてしまいました。
本当はそんなときでも軽いストレッチ程度はしておいたほうが血行も良くなるし、とは思うのですが。まあ何日か続けてテクテクトコトコしたので一日、おやすみということでもう良いか(笑)。
今朝、雨乞いの銭のことを書きましたが、その続きをネットで探ってました。
殆どはこれと同様の古銭をオークションなどに出した情報で、やはりどの様に使われていたかについては何の情報も出てきませんでした。
一つ行き当たったのは、愛知県の一部地域で行われていた雨乞いについてのPDFでした。どこかの大学の助教授が江戸時代にその地域でどの様に雨乞いが行われたかということについて研究したもののようです。(ざっと目を通しただけなのです^^;)
とりあえず雨乞いは村単位で行うというものだったようで、それでダメなら近隣の村と合同で行ったり、あるいは遠くの有名な神社や寺に雨乞いを依頼したとか、それ相応の費用がかかったということでした。
思ったよりも大規模な祭祀だったんですねえ。
いまは、そういう文化風習はすっかり消え去ってしまっています。それも仕方がないことなんでしょうねえ。
そんな名残の一つが雨乞い銭だったのかなと思ったりします。
江戸時代くらいからだと思うのですが、お寺や神社で福銭というのを作っていたそうです。そういうのも幾つかオークションの古銭の中から発見して持っていますが、持っていると福が来るということで、参拝した人に与えた、あるいは売ったのかも(笑)。
その他にもいろんな福銭があって、家の棟上げ式の時にばらまいたらしい福銭もあったそうですよ。
雨乞い銭もそんな一つで、雨乞いを依頼された神社や仏閣が古銭に印を着けて、これを持っていれば雨が降るっ!とか、雨乞いをやった記念に配ったとか。
そういうのものではないかなとPDFを斜め読みしながら思いました。
今でもお守りというかラッキーアイテムとして自分の生まれた年のコインを持つ人もいます。
それもこういう江戸時代からの風習の名残の一つなのかも、なんてことまで考えました。
知らないことを自分な輪推測するのも楽しいものデス。^^
少しボーッとして、あまり動かずに過ごしてしまいました。
本当はそんなときでも軽いストレッチ程度はしておいたほうが血行も良くなるし、とは思うのですが。まあ何日か続けてテクテクトコトコしたので一日、おやすみということでもう良いか(笑)。
今朝、雨乞いの銭のことを書きましたが、その続きをネットで探ってました。
殆どはこれと同様の古銭をオークションなどに出した情報で、やはりどの様に使われていたかについては何の情報も出てきませんでした。
一つ行き当たったのは、愛知県の一部地域で行われていた雨乞いについてのPDFでした。どこかの大学の助教授が江戸時代にその地域でどの様に雨乞いが行われたかということについて研究したもののようです。(ざっと目を通しただけなのです^^;)
とりあえず雨乞いは村単位で行うというものだったようで、それでダメなら近隣の村と合同で行ったり、あるいは遠くの有名な神社や寺に雨乞いを依頼したとか、それ相応の費用がかかったということでした。
思ったよりも大規模な祭祀だったんですねえ。
いまは、そういう文化風習はすっかり消え去ってしまっています。それも仕方がないことなんでしょうねえ。
そんな名残の一つが雨乞い銭だったのかなと思ったりします。
江戸時代くらいからだと思うのですが、お寺や神社で福銭というのを作っていたそうです。そういうのも幾つかオークションの古銭の中から発見して持っていますが、持っていると福が来るということで、参拝した人に与えた、あるいは売ったのかも(笑)。
その他にもいろんな福銭があって、家の棟上げ式の時にばらまいたらしい福銭もあったそうですよ。
雨乞い銭もそんな一つで、雨乞いを依頼された神社や仏閣が古銭に印を着けて、これを持っていれば雨が降るっ!とか、雨乞いをやった記念に配ったとか。
そういうのものではないかなとPDFを斜め読みしながら思いました。
今でもお守りというかラッキーアイテムとして自分の生まれた年のコインを持つ人もいます。
それもこういう江戸時代からの風習の名残の一つなのかも、なんてことまで考えました。
知らないことを自分な輪推測するのも楽しいものデス。^^
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今日はつらつらと「吾唯足知」について思い巡らせました。
以前にもこの言葉について考えた事がありましたが、今回はその発展というか、少し違う方向からの捉え方です。
これは禅などで使われ、京都の龍安寺にある「知足の蹲踞(つくばい)」に彫られている言葉で有名です。
遺教経というお経に書かれてる「知足」というのがもともとらしく、このお経の内容からも欲にとらわれず今の状態で満足することが大事だというような意味らしいのです。
こういうところが禅修行のストイックなところと重なるわけで、なるほどなあとは思います。また断捨離的な意味に繋がって物欲にまみれず慎ましやかな中でも人生の満足を得ることが大事だと言う意味などなど。
そこまでは一般的な意味なのだけど、禅宗の思考を重ねて突き抜けるような物事に対する向き合い方がそんなに単純な「素朴な生き方、慎ましやかな人生」でとどまるようなものでは無いはず。禅的な展開の中でも使われているのは、そこに禅的付加価値というか、意味が含まれているからではないのか?
その意味はなんなのだろう?
・・・というのが今回の考えの方向性でした。
この「吾唯足知」ですが、「吾、唯足るを知る」と読むそうです。
ここでのポイントは「足る」です。
何が足りているのか?いろいろなものへの欲に対して、これ以上求めなくとも、今あるものですでに足りているというのです。まあ、そういうのはあちこちで書かれていることなので割愛。
そこから一段掘り下げます。
禅の十牛図に沿って考えてみて、禅で一番大事な「足る」は仏性に対するものと考えたわけです。十牛図で言われる「そこにすでにあるのに、無いと思って探し求めてしまう」(もともとあるのに失ったとおもってしまう)ような状態にあるが故に「唯足りている」と指摘し、それを重視するのではないか。
自身の中に必要なもの(仏性)はすでにある。それをいかに自覚するかが修行であり、その結果「唯足る」を知ることで、新たな展開を得るわけです。
知ったらどうなるのか、そこからも大事なのですが、とりあえず「吾唯足るを知る」はこの状態を指しているのではないか。・・・・というところまでなんとかまとまった(笑)。
でも、実際のところは紆余曲折を経て、いろんな疑問符が浮かんで、その挙げ句に仏教って本当はなにがいいたいの?というところに行き着いたりしてたわけです。
それは過日の日本人の精神性、心とか、そこに見え隠れする神道という後付の考えに関しても同じで、結局、それってなんなのだろう?と基本的かつ最大の疑問が残るわけです。
そこを突き詰めて考えると宗教学や民俗学的な方向へ行くんでしょうね。
こういうのも考え出すとキリがない。先日のテクテクと一緒で、どこに限度があるのかわからなくなってしまいます。テクテクなら体が動かないところが限界です。でも考える事にはそういう明確な限界がない。
おそらく思考が停止して、ここから始まったということにしよう、と判断したところが限界なんだろうと思います。それは古今の民俗学や国学の先人も同じで,そこを出発点として自分なりの史観や考え方を発展させるのでしょう。
そしてその考えに沿って事象を理解し視点が展開されていくということになります。なので出発点にたどり着いた後に終わりのない長い道程がさらに続くわけです。
もう大変だ~^^;。
まあ、そんなことを考えていると本当にとりとめもなく考えが広がっていくのでこの辺りで一旦終了。
そんな一日なのでした。
頭の体操お疲れ様(笑)。
以前にもこの言葉について考えた事がありましたが、今回はその発展というか、少し違う方向からの捉え方です。
これは禅などで使われ、京都の龍安寺にある「知足の蹲踞(つくばい)」に彫られている言葉で有名です。
遺教経というお経に書かれてる「知足」というのがもともとらしく、このお経の内容からも欲にとらわれず今の状態で満足することが大事だというような意味らしいのです。
こういうところが禅修行のストイックなところと重なるわけで、なるほどなあとは思います。また断捨離的な意味に繋がって物欲にまみれず慎ましやかな中でも人生の満足を得ることが大事だと言う意味などなど。
そこまでは一般的な意味なのだけど、禅宗の思考を重ねて突き抜けるような物事に対する向き合い方がそんなに単純な「素朴な生き方、慎ましやかな人生」でとどまるようなものでは無いはず。禅的な展開の中でも使われているのは、そこに禅的付加価値というか、意味が含まれているからではないのか?
その意味はなんなのだろう?
・・・というのが今回の考えの方向性でした。
この「吾唯足知」ですが、「吾、唯足るを知る」と読むそうです。
ここでのポイントは「足る」です。
何が足りているのか?いろいろなものへの欲に対して、これ以上求めなくとも、今あるものですでに足りているというのです。まあ、そういうのはあちこちで書かれていることなので割愛。
そこから一段掘り下げます。
禅の十牛図に沿って考えてみて、禅で一番大事な「足る」は仏性に対するものと考えたわけです。十牛図で言われる「そこにすでにあるのに、無いと思って探し求めてしまう」(もともとあるのに失ったとおもってしまう)ような状態にあるが故に「唯足りている」と指摘し、それを重視するのではないか。
自身の中に必要なもの(仏性)はすでにある。それをいかに自覚するかが修行であり、その結果「唯足る」を知ることで、新たな展開を得るわけです。
知ったらどうなるのか、そこからも大事なのですが、とりあえず「吾唯足るを知る」はこの状態を指しているのではないか。・・・・というところまでなんとかまとまった(笑)。
でも、実際のところは紆余曲折を経て、いろんな疑問符が浮かんで、その挙げ句に仏教って本当はなにがいいたいの?というところに行き着いたりしてたわけです。
それは過日の日本人の精神性、心とか、そこに見え隠れする神道という後付の考えに関しても同じで、結局、それってなんなのだろう?と基本的かつ最大の疑問が残るわけです。
そこを突き詰めて考えると宗教学や民俗学的な方向へ行くんでしょうね。
こういうのも考え出すとキリがない。先日のテクテクと一緒で、どこに限度があるのかわからなくなってしまいます。テクテクなら体が動かないところが限界です。でも考える事にはそういう明確な限界がない。
おそらく思考が停止して、ここから始まったということにしよう、と判断したところが限界なんだろうと思います。それは古今の民俗学や国学の先人も同じで,そこを出発点として自分なりの史観や考え方を発展させるのでしょう。
そしてその考えに沿って事象を理解し視点が展開されていくということになります。なので出発点にたどり着いた後に終わりのない長い道程がさらに続くわけです。
もう大変だ~^^;。
まあ、そんなことを考えていると本当にとりとめもなく考えが広がっていくのでこの辺りで一旦終了。
そんな一日なのでした。
頭の体操お疲れ様(笑)。
テクテクをネットで調べていたらスロージョギングというのに行き当たりました。
いろいろ見てみると3年ほど前にためしてがってんしていただきました、の番組でとりあげられていたそうです。(がってんのページは見つかりませんでしたが、スロージョギングとガッテンで検索するといろいろ出てきます)
スロースクワットと同じく遅筋を活用するようで、スローでゆっくりやるのが体に負担がかからなくて良いのでしょうね^^。
一応いくつかポイントがあるそうで、簡単に残しておきます。
1背筋を伸ばし、前傾姿勢で、歩幅は極力小さく。背筋を伸ばすことで体幹を鍛え、歩幅は2,30センチ程度で良いそうです。
2足は地面を蹴らない、足の指の付け根で着地する感じ。蹴ると足に負担がかかるし、肉離れになることも><、指の付け根で着地は踵から着地すると足への負荷が大きくなるから。
3おしゃべりができる速さ。前にテクテクで時速6キロというのがありましたが、その程度で問題ないそうです)
4一日30分目安。距離よりも時間が大事なのだそうで、途中で歩いても良いので時間を続けることがポイントだそうです。
テクテク歩く速度と同じ程度の速さでのスロージョギングでも、消費カロリーは1.6倍程度になるのだというのもありました。数値はわかりませんが、歩くよりもジョギングのほうが効果があるということなのでしょう。
自分なりにてくてくしている間に、歩幅も小さくなっていましたし、負担を抑える為に足音をたてずに、というのもありました。これも歩幅とともに自然とやっていました。背筋を伸ばすというのも最近気づきやり始めています。
いろいろ試している間になんとなくまとまっていくんですねえ。
いろいろ見てみると3年ほど前にためしてがってんしていただきました、の番組でとりあげられていたそうです。(がってんのページは見つかりませんでしたが、スロージョギングとガッテンで検索するといろいろ出てきます)
スロースクワットと同じく遅筋を活用するようで、スローでゆっくりやるのが体に負担がかからなくて良いのでしょうね^^。
一応いくつかポイントがあるそうで、簡単に残しておきます。
1背筋を伸ばし、前傾姿勢で、歩幅は極力小さく。背筋を伸ばすことで体幹を鍛え、歩幅は2,30センチ程度で良いそうです。
2足は地面を蹴らない、足の指の付け根で着地する感じ。蹴ると足に負担がかかるし、肉離れになることも><、指の付け根で着地は踵から着地すると足への負荷が大きくなるから。
3おしゃべりができる速さ。前にテクテクで時速6キロというのがありましたが、その程度で問題ないそうです)
4一日30分目安。距離よりも時間が大事なのだそうで、途中で歩いても良いので時間を続けることがポイントだそうです。
テクテク歩く速度と同じ程度の速さでのスロージョギングでも、消費カロリーは1.6倍程度になるのだというのもありました。数値はわかりませんが、歩くよりもジョギングのほうが効果があるということなのでしょう。
自分なりにてくてくしている間に、歩幅も小さくなっていましたし、負担を抑える為に足音をたてずに、というのもありました。これも歩幅とともに自然とやっていました。背筋を伸ばすというのも最近気づきやり始めています。
いろいろ試している間になんとなくまとまっていくんですねえ。