ちりぬるをわか
日々のちょっとした事。で、いろんなことがあったりなかったり。
昨日の古銭の続きです。
ちなみに古銭などは、江戸時代、近代、外国と分けて箱に入れて置いています。特に気になってるものは別途、100均で買ってきた小物ケースの中に入れてます。
さて、昨日の古銭の中にお金では無いものが混じってることがあります。
それらは、「絵銭」(お寺や寺院の土産物として配られた、仏や地蔵が描かれたコイン)や寛永通寶などを「加工品」です。
絵銭も寛永通寶などと同じ程度の大きさで、中央に四角い穴が空いているものが多く、寛永通寶と間違いやすいようです。中には明らかに寛永通寶を模倣したものもあります。表は寛永通寶で、裏は仏なのかお不動産なのかの絵になってたり、招福ということで、めでたい絵がかかれていたりします。
江戸時代の通貨の扱いで、100文単位になると、いちいち小銭を100枚出すなど、という面倒なことはせず、紐で通した銭100枚(穴が空いているのはそのただとか言う話もあります)を使いました。実際に100枚あったかどうか、一説には96枚あれば100文として扱ったという話も聞いたことがあります。
そんな中に一枚二枚同じ形の絵銭が混じっていることもあったのかもしれません。今では一部のマニアが集めているもので、たくさん種類があるのにもかかわらず、いつどこで造られたか分かってるものは少ないようです。
お寺が自分の寺の名を書いたものもあり、そういうのは寺銭と言われています。それは最近でも成田山などのものを見かけたりします。あと念仏銭とか呼ばれる念仏が描かれたものもあります。
とにかくいろいろなものがあって、興味は尽きないアイテムです(笑)。
加工は、先日の雨乞い銭以外にも、寛永通寶などの背面を削ってツルツルにしたり、周りを削って五角形にしたりというのもありました。
ツルツルにしたものはメンコ銭と呼ばれていて、自分が子供の頃にやった紙メンコの金属版だと考えられます。メンコ銭は金属以外でも土で造られている物もあり、そこにはご丁寧に寛永通寶などと字が描かれてるものもあります。
遊び方としては、地面に置いたメンコ銭を相手の人が自分のメンコ銭を上から落として当てて、枠の外に出すとか、裏返すとか(これは紙メンコで同じルールでやってたのでなんだか親しみがあるのですが)で、大人がやっていた一種の博打遊びだとしているHPがありました。
この遊びについてはほとんど記述が残されていないので貴重な見解だとも思います。
つるつるにするのは裏表がわかりやすいようにということらしいのですが、そんなに簡単にツルツルになったのかなと実験したことがあります(笑)。
コンクリートブロックに寛永通寶を一枚置いて、指で押してぐるぐる回していくとコンクリートの表面がヤスリ替わりになってすぐにツルツルになりました。時々水をかけてやると一層きれいに磨けます。もちろん江戸時代なのでコンクリートじゃなくて、大方は砥石を使ったのでしょうけど、その辺りに落ちてる大きめの石でも同じことが出来るとわかりました。子供なら砥石よりも石ころ使って磨くだろうなあ~。
五角形のものは用途を含めまった詳細がわかりません。おそらく雨乞い銭と同じ様になにかのお守りとして使われたのだろうと思います。
これらの加工銭、金銭的な価値は全く無いでしょうが、文化的にはとても貴重なものじゃないかなと思うんだけどなあ???
民族博物館などに展示していても良いかなとも思うんですがねぇ^^;。
他にも、四角い穴を丸く加工したものがあります。これは明治になってかららしいです。江戸時代のお金は使われなくなって、そこいらにある寛永通寶(かなり大量に出回っていたのです)の使いみちの一つとして、引き戸などの戸車として使ったらしのです。
その際、中央の四角い穴を丸く削って芯棒が通りやすいよう、また動きやすいようにしたというもの。オークションなどを眺めていると稀に穴をまんまるに削った寛永通寶が混じっていることがありますが、まあ、眺めるだけでも十分です。
などなどそんな古銭の、どうでも良さそうな側面がとても興味を引くのでした。(笑)
まあ、これ以上集めるつもりはないのですが、手元に溜まっている普通の古銭をどうしようか考えたほうが良さそうですね^^;。
ちなみに古銭などは、江戸時代、近代、外国と分けて箱に入れて置いています。特に気になってるものは別途、100均で買ってきた小物ケースの中に入れてます。
さて、昨日の古銭の中にお金では無いものが混じってることがあります。
それらは、「絵銭」(お寺や寺院の土産物として配られた、仏や地蔵が描かれたコイン)や寛永通寶などを「加工品」です。
絵銭も寛永通寶などと同じ程度の大きさで、中央に四角い穴が空いているものが多く、寛永通寶と間違いやすいようです。中には明らかに寛永通寶を模倣したものもあります。表は寛永通寶で、裏は仏なのかお不動産なのかの絵になってたり、招福ということで、めでたい絵がかかれていたりします。
江戸時代の通貨の扱いで、100文単位になると、いちいち小銭を100枚出すなど、という面倒なことはせず、紐で通した銭100枚(穴が空いているのはそのただとか言う話もあります)を使いました。実際に100枚あったかどうか、一説には96枚あれば100文として扱ったという話も聞いたことがあります。
そんな中に一枚二枚同じ形の絵銭が混じっていることもあったのかもしれません。今では一部のマニアが集めているもので、たくさん種類があるのにもかかわらず、いつどこで造られたか分かってるものは少ないようです。
お寺が自分の寺の名を書いたものもあり、そういうのは寺銭と言われています。それは最近でも成田山などのものを見かけたりします。あと念仏銭とか呼ばれる念仏が描かれたものもあります。
とにかくいろいろなものがあって、興味は尽きないアイテムです(笑)。
加工は、先日の雨乞い銭以外にも、寛永通寶などの背面を削ってツルツルにしたり、周りを削って五角形にしたりというのもありました。
ツルツルにしたものはメンコ銭と呼ばれていて、自分が子供の頃にやった紙メンコの金属版だと考えられます。メンコ銭は金属以外でも土で造られている物もあり、そこにはご丁寧に寛永通寶などと字が描かれてるものもあります。
遊び方としては、地面に置いたメンコ銭を相手の人が自分のメンコ銭を上から落として当てて、枠の外に出すとか、裏返すとか(これは紙メンコで同じルールでやってたのでなんだか親しみがあるのですが)で、大人がやっていた一種の博打遊びだとしているHPがありました。
この遊びについてはほとんど記述が残されていないので貴重な見解だとも思います。
つるつるにするのは裏表がわかりやすいようにということらしいのですが、そんなに簡単にツルツルになったのかなと実験したことがあります(笑)。
コンクリートブロックに寛永通寶を一枚置いて、指で押してぐるぐる回していくとコンクリートの表面がヤスリ替わりになってすぐにツルツルになりました。時々水をかけてやると一層きれいに磨けます。もちろん江戸時代なのでコンクリートじゃなくて、大方は砥石を使ったのでしょうけど、その辺りに落ちてる大きめの石でも同じことが出来るとわかりました。子供なら砥石よりも石ころ使って磨くだろうなあ~。
五角形のものは用途を含めまった詳細がわかりません。おそらく雨乞い銭と同じ様になにかのお守りとして使われたのだろうと思います。
これらの加工銭、金銭的な価値は全く無いでしょうが、文化的にはとても貴重なものじゃないかなと思うんだけどなあ???
民族博物館などに展示していても良いかなとも思うんですがねぇ^^;。
他にも、四角い穴を丸く加工したものがあります。これは明治になってかららしいです。江戸時代のお金は使われなくなって、そこいらにある寛永通寶(かなり大量に出回っていたのです)の使いみちの一つとして、引き戸などの戸車として使ったらしのです。
その際、中央の四角い穴を丸く削って芯棒が通りやすいよう、また動きやすいようにしたというもの。オークションなどを眺めていると稀に穴をまんまるに削った寛永通寶が混じっていることがありますが、まあ、眺めるだけでも十分です。
などなどそんな古銭の、どうでも良さそうな側面がとても興味を引くのでした。(笑)
まあ、これ以上集めるつもりはないのですが、手元に溜まっている普通の古銭をどうしようか考えたほうが良さそうですね^^;。
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今日も一日冷えました。
さて先日、ここの書き込みで古銭が何枚あるのかわからないと書きましたが、気になったのでざっと数えたら、けっこうありました。
江戸時代のものが300枚程度、中にオークションでまとめて買った中に一緒に混じっていた中国の古銭が40枚程。その他にもお金じゃないものもあったり、明治以降~昭和20年頃で60枚程でした。
まとめて数十枚~でオークションに出ている安いものを落札したので、良品不良品その他のもの、年代もごちゃまぜというところがスタートでしたからいろいろあります(笑)。
で、ここでは江戸時代に造られたお金の話です。
細かく見るといろいろ種類がありますが、代表的なものは文銭(寛永通寶と文久永宝)と大判小判程度は知られていると思います。文銭は銭形平次の投げるヤツで、小判は一般的ではありませんでしたが時代劇ではよく出てきますよね。
他に銀の粒や小さな板状にした銀などもありました。二朱銀とか言うと時代劇などで聞いたことがあるかもしれません。
ところで当時の貨幣は今のようにきちんとした造りではなく、鋳造した場所や製造時代によって大きさも重さも違い、また同じ場所でも銭の表に描かれてる寛永通寶などという文字が微妙に違うものが出てきます。
マニアの人はこの違いでレアなものに値段をつけるわけです。これは今のコインマニアも同じで、字がずれているとか、発行枚数が少ないからレア、なので高い値が着けられます。
寛永通寶は初め、今の五百円玉程度の大きさで作り始められたのですが、時代が移っていくと幕府の財政の関係で小さくなったり薄くなったり100円玉程度まで小さくなって、またあとで大きさだけ戻ることもありました。
これには江戸中期の有名な老中たちが関わっています。田沼意次もその一人で、少し前まではかなり悪い老中だと言われていましたが、今は江戸時代の通貨経済の世界では相当な働きを残した好評かな人になったりしています。
悪い評価は、意次の後に経済政策を指揮した松平定信が、意次の評価を落とすために賄賂がどうとか言う話を広めたという説もあるほどです。
しかし松平定信やその後の老中たちはあまり通貨経済ではうまくいかず、貨幣の質を落としたりしてなんとか維持しようとしました。おかげで寛永通寶はいろいろな種類が出回ることになりました。
しかも当時の製造ですから(今で言う)瑕疵品がけっこうあります。鐚銭(粗悪品ーびたせん)だって出回りましたし、密造品というか密鋳銭というのですが、そういうもの出てきたそうです。
なんでもありな時代だったのですねえ。
通貨の大きさが変わるというのは、この後の時代でも出てきます。
特に顕著なのが、太平洋戦争の頃で、昭和20年までに何度も通貨が変わっていくのですが、そのたび小さく小さく、しかも金属も安価なものに変わっていくのです。例えば一銭硬貨は昭和14年まで10円玉と同じ大きさの銅貨だったものが、翌年にはアルミになって3回り程小さくなり、16年のものは更に一回り縮み、20年には材質が亜鉛合金で更に一回り小さくなって指先にちょこんと乗るほどの大きさでした。
これらを並べてみるだけで、どれほど当時の日本が無理な事をしていたのかの一端が垣間見られるような気がします。そういう事を実感するのも大事だなあと思うんですよねえ。
なんてわけでたかが古銭ですが、その背景にあるものを見ていくといろいろなことがわかってくるのが面白くて、つい集まってしまった。
むしろ数がある程度集まって比べてみたらこういう事に気づいて、調べてみたらこんな背景があったと知ったって事ですね~。
まあ、始まりは、昨日書いたように「捨てられない石ころ」だったわけですが^^;。
やっぱり知らないことを知るのは面白いのです^^。
さて先日、ここの書き込みで古銭が何枚あるのかわからないと書きましたが、気になったのでざっと数えたら、けっこうありました。
江戸時代のものが300枚程度、中にオークションでまとめて買った中に一緒に混じっていた中国の古銭が40枚程。その他にもお金じゃないものもあったり、明治以降~昭和20年頃で60枚程でした。
まとめて数十枚~でオークションに出ている安いものを落札したので、良品不良品その他のもの、年代もごちゃまぜというところがスタートでしたからいろいろあります(笑)。
で、ここでは江戸時代に造られたお金の話です。
細かく見るといろいろ種類がありますが、代表的なものは文銭(寛永通寶と文久永宝)と大判小判程度は知られていると思います。文銭は銭形平次の投げるヤツで、小判は一般的ではありませんでしたが時代劇ではよく出てきますよね。
他に銀の粒や小さな板状にした銀などもありました。二朱銀とか言うと時代劇などで聞いたことがあるかもしれません。
ところで当時の貨幣は今のようにきちんとした造りではなく、鋳造した場所や製造時代によって大きさも重さも違い、また同じ場所でも銭の表に描かれてる寛永通寶などという文字が微妙に違うものが出てきます。
マニアの人はこの違いでレアなものに値段をつけるわけです。これは今のコインマニアも同じで、字がずれているとか、発行枚数が少ないからレア、なので高い値が着けられます。
寛永通寶は初め、今の五百円玉程度の大きさで作り始められたのですが、時代が移っていくと幕府の財政の関係で小さくなったり薄くなったり100円玉程度まで小さくなって、またあとで大きさだけ戻ることもありました。
これには江戸中期の有名な老中たちが関わっています。田沼意次もその一人で、少し前まではかなり悪い老中だと言われていましたが、今は江戸時代の通貨経済の世界では相当な働きを残した好評かな人になったりしています。
悪い評価は、意次の後に経済政策を指揮した松平定信が、意次の評価を落とすために賄賂がどうとか言う話を広めたという説もあるほどです。
しかし松平定信やその後の老中たちはあまり通貨経済ではうまくいかず、貨幣の質を落としたりしてなんとか維持しようとしました。おかげで寛永通寶はいろいろな種類が出回ることになりました。
しかも当時の製造ですから(今で言う)瑕疵品がけっこうあります。鐚銭(粗悪品ーびたせん)だって出回りましたし、密造品というか密鋳銭というのですが、そういうもの出てきたそうです。
なんでもありな時代だったのですねえ。
通貨の大きさが変わるというのは、この後の時代でも出てきます。
特に顕著なのが、太平洋戦争の頃で、昭和20年までに何度も通貨が変わっていくのですが、そのたび小さく小さく、しかも金属も安価なものに変わっていくのです。例えば一銭硬貨は昭和14年まで10円玉と同じ大きさの銅貨だったものが、翌年にはアルミになって3回り程小さくなり、16年のものは更に一回り縮み、20年には材質が亜鉛合金で更に一回り小さくなって指先にちょこんと乗るほどの大きさでした。
これらを並べてみるだけで、どれほど当時の日本が無理な事をしていたのかの一端が垣間見られるような気がします。そういう事を実感するのも大事だなあと思うんですよねえ。
なんてわけでたかが古銭ですが、その背景にあるものを見ていくといろいろなことがわかってくるのが面白くて、つい集まってしまった。
むしろ数がある程度集まって比べてみたらこういう事に気づいて、調べてみたらこんな背景があったと知ったって事ですね~。
まあ、始まりは、昨日書いたように「捨てられない石ころ」だったわけですが^^;。
やっぱり知らないことを知るのは面白いのです^^。
今日も良い天気になりそうな朝です。
時々、無性に腹立たしくなることがあります。
どうしてかと言葉にするのが難しいのですが、例えば:
テレビのニュースで国会の答弁など見ていて議員が質問して大臣が答える。
その内容ややり取りがあまりに低級すぎて見えて無性に腹立たしい(笑)。
といった社会的な出来事に対してです。
例えばどこかの国の大統領の言葉が、あるいはその国のあり方ががあまりにもバランスを欠いているようで、自分勝手だなと思ってしまう。それがモヤモヤとしてしまうわけで。
そうやっていろいろ感じるのは当然なのだろうけど
それについて何も出来ない自分もモヤモヤする原因の一つなのかもね。
そういったいろんなどうでもいいようなモヤモヤした腹立たしさは、情報が溢れかえって自分の頭で整理できてないから、とも言えます。
そう思うと耳を閉ざしてしまうというのは一つの選択肢なのかな?そこで思うのは方丈記の鴨長明のことで、ああやって山中の方丈に引きこもってしまったわけで(笑)。鴨長明はいろいろと批評されていて、負け犬的な扱いになっているし、方丈記も内容的には決して褒められたものではないという評も多いわけですが・・。
そういう生き方がいいのか悪いのか、だよねえ。
でもどこかでささやかに慎ましやかに、静かに生きたいと思う気持ちが、この歳になってわかるような気がする。
なんて書き出すとちょっとモヤモヤが薄れたかも??^^;
今日も良い一日なりますように。
時々、無性に腹立たしくなることがあります。
どうしてかと言葉にするのが難しいのですが、例えば:
テレビのニュースで国会の答弁など見ていて議員が質問して大臣が答える。
その内容ややり取りがあまりに低級すぎて見えて無性に腹立たしい(笑)。
といった社会的な出来事に対してです。
例えばどこかの国の大統領の言葉が、あるいはその国のあり方ががあまりにもバランスを欠いているようで、自分勝手だなと思ってしまう。それがモヤモヤとしてしまうわけで。
そうやっていろいろ感じるのは当然なのだろうけど
それについて何も出来ない自分もモヤモヤする原因の一つなのかもね。
そういったいろんなどうでもいいようなモヤモヤした腹立たしさは、情報が溢れかえって自分の頭で整理できてないから、とも言えます。
そう思うと耳を閉ざしてしまうというのは一つの選択肢なのかな?そこで思うのは方丈記の鴨長明のことで、ああやって山中の方丈に引きこもってしまったわけで(笑)。鴨長明はいろいろと批評されていて、負け犬的な扱いになっているし、方丈記も内容的には決して褒められたものではないという評も多いわけですが・・。
そういう生き方がいいのか悪いのか、だよねえ。
でもどこかでささやかに慎ましやかに、静かに生きたいと思う気持ちが、この歳になってわかるような気がする。
なんて書き出すとちょっとモヤモヤが薄れたかも??^^;
今日も良い一日なりますように。