ちりぬるをわか
日々のちょっとした事。で、いろんなことがあったりなかったり。

古紙回収の日です。
昨夜はなかなか寝付けずにいましたが、古紙回収なので頑張って起きて新聞やダンボールをまとめて出してきました。
外は鈍い朝日が差していて、高い湿度で汗が滲みました。
今日は2週前に借りた脳の働きの本の返却日。ですが他のタイミングで借りた本三冊と一緒にダラダラと読んでいたのでノートにまとめきれてないため、さきほど貸出を延長しました。一度だけという条件がありますが、ネットで延長できるのは便利です^^。
これで2週間延長です。他の本と同じタイミングで返せるようにしておきましょ。
少し(かなり?)睡眠時間が短かったので、お昼間に眠くなると思うので、ダラダラと過ごしたいと思います。
あ、ダラダラするから眠くなるというのもあるのかな?でもテクテクに出ても後で眠くなると思うので、どうしたって後で眠くなるんだろうなあ(笑)。
では良い一日を。
昨夜はなかなか寝付けずにいましたが、古紙回収なので頑張って起きて新聞やダンボールをまとめて出してきました。
外は鈍い朝日が差していて、高い湿度で汗が滲みました。
今日は2週前に借りた脳の働きの本の返却日。ですが他のタイミングで借りた本三冊と一緒にダラダラと読んでいたのでノートにまとめきれてないため、さきほど貸出を延長しました。一度だけという条件がありますが、ネットで延長できるのは便利です^^。
これで2週間延長です。他の本と同じタイミングで返せるようにしておきましょ。
少し(かなり?)睡眠時間が短かったので、お昼間に眠くなると思うので、ダラダラと過ごしたいと思います。
あ、ダラダラするから眠くなるというのもあるのかな?でもテクテクに出ても後で眠くなると思うので、どうしたって後で眠くなるんだろうなあ(笑)。
では良い一日を。
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今日は晴れていて、多少湿度は高かったけどまずますの日でした。
が、寝起きの悪さも関係してのかもしれませんが、なんとなくぼんやりとしています。
晴れていてもすっきりしない気圧の高さになっていて、おそらくそれもあるのでしょう。
低気圧が自律神経に影響するというのを見ますが、そんなことは前々からわかってることなので、世間様がようやくそれに気づいたということなのかな、と笑って拝見しています。
まあ、そんな一日でしたし、ダラダラと過ごしていました。
で、えーっと海外で安楽死を選んだ人のお話ですが、
それが良いのか悪いのかははっきりと答えが出せませんが、その人の選択が自分に撮って一番だと思って選んだことなのでしょうから、その気持は大事だと思います。
自分がどうなるのかわかりませんが、最後に、ああ、人生悪くなかったなと思えればどんな状況っでも構わないと思っています。
こういう話はネガティブに捉える人が多いので、ほとんど口にしたことはありませんが、自分なりに、最後はこうありたいというものを持っています。それは10代の頃から変わっていません。つまりその頃から自分の最後のあり方を抱えていたというのも、今考えるとなんだかすごいなあ。
と言っても単純でとてもシンプルなのですが、先に書いたとおり人生悪くなかったな、いろいろあったけどあれもこれも楽しいかったと笑いたい。ということです。
途中どんなに大変なことがあっても、旅が終わるときにはあれもこれも楽しかったと思える時が来る(とほとんど確定事項的に思っている(笑)。
うん、あんな時代もあったねと、いつか笑える日が来る、ってところです。
そのためにも、先のことで気を煩わせるよりも、道中のちょっとしたことが宝物に思える、感じられるような過ごし方をしたいのです。
一緒にどこかへ行った、同じ景色を見た、でも良いのです。
花を見たでも良いのです。バイクでコケたでも良いんです^^。
そういう諸々が全部そう思える。
悪いことももちろんあったけど、それすら今の自分がここにあるための寄り道だったと思えれば、いいのかなと。
お昼の書き込みでも同じことを書きましたが、20年後よりも今年のほうが大事なのです。
先を見据えて迷うよりも、今の足元を見て咲く花を見つける楽しみを選びたい。こういうのは禅的な考えなのかもしれませんが、禅がどうだと知る前からの昔からなのです。
結局、自己満足という言葉に収まるかなと思いますが、自己満足で大いに結構だと思ってます。
今やってる諸々は全部自己満足のレベルですが、それで最後に笑っていられるのならそれで人生十分じゃないかな、なんてね^^。
なので安楽死がどうのというのは答えが出せないけど、今年満足できる自分がいれば、来年も満足できる自分になるでしょう。
それがいつか終わるときまでそうやっていたいなと思うわけなのでした。
う~ん、なんか長くなった。
まあ、頭がぼ~っとしてるからご勘弁^^;。
が、寝起きの悪さも関係してのかもしれませんが、なんとなくぼんやりとしています。
晴れていてもすっきりしない気圧の高さになっていて、おそらくそれもあるのでしょう。
低気圧が自律神経に影響するというのを見ますが、そんなことは前々からわかってることなので、世間様がようやくそれに気づいたということなのかな、と笑って拝見しています。
まあ、そんな一日でしたし、ダラダラと過ごしていました。
で、えーっと海外で安楽死を選んだ人のお話ですが、
それが良いのか悪いのかははっきりと答えが出せませんが、その人の選択が自分に撮って一番だと思って選んだことなのでしょうから、その気持は大事だと思います。
自分がどうなるのかわかりませんが、最後に、ああ、人生悪くなかったなと思えればどんな状況っでも構わないと思っています。
こういう話はネガティブに捉える人が多いので、ほとんど口にしたことはありませんが、自分なりに、最後はこうありたいというものを持っています。それは10代の頃から変わっていません。つまりその頃から自分の最後のあり方を抱えていたというのも、今考えるとなんだかすごいなあ。
と言っても単純でとてもシンプルなのですが、先に書いたとおり人生悪くなかったな、いろいろあったけどあれもこれも楽しいかったと笑いたい。ということです。
途中どんなに大変なことがあっても、旅が終わるときにはあれもこれも楽しかったと思える時が来る(とほとんど確定事項的に思っている(笑)。
うん、あんな時代もあったねと、いつか笑える日が来る、ってところです。
そのためにも、先のことで気を煩わせるよりも、道中のちょっとしたことが宝物に思える、感じられるような過ごし方をしたいのです。
一緒にどこかへ行った、同じ景色を見た、でも良いのです。
花を見たでも良いのです。バイクでコケたでも良いんです^^。
そういう諸々が全部そう思える。
悪いことももちろんあったけど、それすら今の自分がここにあるための寄り道だったと思えれば、いいのかなと。
お昼の書き込みでも同じことを書きましたが、20年後よりも今年のほうが大事なのです。
先を見据えて迷うよりも、今の足元を見て咲く花を見つける楽しみを選びたい。こういうのは禅的な考えなのかもしれませんが、禅がどうだと知る前からの昔からなのです。
結局、自己満足という言葉に収まるかなと思いますが、自己満足で大いに結構だと思ってます。
今やってる諸々は全部自己満足のレベルですが、それで最後に笑っていられるのならそれで人生十分じゃないかな、なんてね^^。
なので安楽死がどうのというのは答えが出せないけど、今年満足できる自分がいれば、来年も満足できる自分になるでしょう。
それがいつか終わるときまでそうやっていたいなと思うわけなのでした。
う~ん、なんか長くなった。
まあ、頭がぼ~っとしてるからご勘弁^^;。


今日は家でのんびり。
時々ストレッチをした程度で、あとは本を読んだり寝っ転がってぼ~っとしたり、実家の母から玉ねぎ他をもらったので玉ねぎスープを作ったりの一日でした。
玉ねぎ他は、田舎の親戚の畑で取れたものを送ってきたのでおすそ分けでした。
中世の精神史的な本は残りも全部読み終りました。
精神史というか中世の人たちが神仏をどう捉えていたか、といえばいいのかなあ。
細かい話はさておいて、読んでいると確かにそうだな、と思い当たることもあって、もしかしたら現代でもその感覚はほそぼそと続いているのかもしれないなと思ったり。
知らない切り口というのは面白いものですねえ^^。
精神史に限らず、時代検証のものは一側面から見てしまうことが多いのですが、この本は包括的な見方を保ちつつ、当時の人達の一般的な考え方を分析して行くという少し謎解きにも似た面白さがありました。
それと筆者があとがきで書いていたことでなるほどと思わせてくれたのが
「この列島上では新しい思想や宗教が広く受容されても、それが既存のそれを排除しようとする動きがほとんど起こらなかった」ということで、時代時代で取り上げられたものを舞台の主人公とするなら、その主人公が沢山いて、
「新たな主人公が登場してもそれまでの主人公が舞台を降りない」「その後もなんらかの役を与えられながらいつまでも舞台にとどまる」というのが西洋などと決定的な違いだというのです。
これも確かにそのとおりかもしれないと考えてしまいました。
こういう本を読むと、同じ著者の別の本も読んでみたくなるのですよね。
また今の本を返却しに行ったときに考えます。
時々ストレッチをした程度で、あとは本を読んだり寝っ転がってぼ~っとしたり、実家の母から玉ねぎ他をもらったので玉ねぎスープを作ったりの一日でした。
玉ねぎ他は、田舎の親戚の畑で取れたものを送ってきたのでおすそ分けでした。
中世の精神史的な本は残りも全部読み終りました。
精神史というか中世の人たちが神仏をどう捉えていたか、といえばいいのかなあ。
細かい話はさておいて、読んでいると確かにそうだな、と思い当たることもあって、もしかしたら現代でもその感覚はほそぼそと続いているのかもしれないなと思ったり。
知らない切り口というのは面白いものですねえ^^。
精神史に限らず、時代検証のものは一側面から見てしまうことが多いのですが、この本は包括的な見方を保ちつつ、当時の人達の一般的な考え方を分析して行くという少し謎解きにも似た面白さがありました。
それと筆者があとがきで書いていたことでなるほどと思わせてくれたのが
「この列島上では新しい思想や宗教が広く受容されても、それが既存のそれを排除しようとする動きがほとんど起こらなかった」ということで、時代時代で取り上げられたものを舞台の主人公とするなら、その主人公が沢山いて、
「新たな主人公が登場してもそれまでの主人公が舞台を降りない」「その後もなんらかの役を与えられながらいつまでも舞台にとどまる」というのが西洋などと決定的な違いだというのです。
これも確かにそのとおりかもしれないと考えてしまいました。
こういう本を読むと、同じ著者の別の本も読んでみたくなるのですよね。
また今の本を返却しに行ったときに考えます。
