ちりぬるをわか
日々のちょっとした事。で、いろんなことがあったりなかったり。

今日もぼんやり過ごしていると、あれやこれや思い浮かぶことがあるが
昨日のサミュエル・ジョンソンの事から考えた。
一昔前なら、何かを調べるというのは大変なことだった。
使うのは辞典とか辞書とか、分厚い本。
そうったものを使って調べるときに「紐解く」という言葉があったなあ、と思いだしたのだ。
紐解くという言葉はとても視覚的(今ならビジュアル的とでもいうのかなあ?)な要素を含んでいるし、調べるのにも手間暇をかけているニュアンスが伝わってくる言葉だと思うのだ。
大きな書棚から分厚い本をよっこらせ、と引き抜いて、ページをめくってゆくといろんな文字が目の前を通過していく。その文字の中にようやく探すものを見付けるというのはちょっとした楽しみでもあったのに。
今ではそんなこともなく、「検索」というツールがぱっと情報を呼び出してくれる。それはいいことなのだろうけど、調べるという楽しみがなくなってしまったようにも思える。
本を紐解くという言葉。
結構気に入っている言葉の一つなのだ。
でも、この先どれくらいこの言葉に出会えるのかなと思うと残念な気持ちになってしまう。
多分、自分も「舟を編む人」の側にいるのだろうなぁ。
昨日のサミュエル・ジョンソンの事から考えた。
一昔前なら、何かを調べるというのは大変なことだった。
使うのは辞典とか辞書とか、分厚い本。
そうったものを使って調べるときに「紐解く」という言葉があったなあ、と思いだしたのだ。
紐解くという言葉はとても視覚的(今ならビジュアル的とでもいうのかなあ?)な要素を含んでいるし、調べるのにも手間暇をかけているニュアンスが伝わってくる言葉だと思うのだ。
大きな書棚から分厚い本をよっこらせ、と引き抜いて、ページをめくってゆくといろんな文字が目の前を通過していく。その文字の中にようやく探すものを見付けるというのはちょっとした楽しみでもあったのに。
今ではそんなこともなく、「検索」というツールがぱっと情報を呼び出してくれる。それはいいことなのだろうけど、調べるという楽しみがなくなってしまったようにも思える。
本を紐解くという言葉。
結構気に入っている言葉の一つなのだ。
でも、この先どれくらいこの言葉に出会えるのかなと思うと残念な気持ちになってしまう。
多分、自分も「舟を編む人」の側にいるのだろうなぁ。
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