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ちりぬるをわか

日々のちょっとした事。で、いろんなことがあったりなかったり。

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相変わらずえぬえっちけーの英会話講座や、ようつべの英語の動画を見ては、気になった単語やフレーズをちまちまとノートに書き込んでいる。単語を書残すだけではなく、意味や使い方も書いていく。見開きページ毎にアルファベット順に書き込んでいて、よく出てくる頭文字の言葉は書ききれなくなって空いているページに同じように書いてるが、もう残りページも少なくなってきた。そろそろ次のノート買っておかないと。あと、乱雑に書き込んでるからまとめ直したい気もあるんだけど、めんどくさいなあ。(笑)

ノートにはその時その時に気になった言葉を書きこんでるので、見返すと同じ単語を書いていることもある。それは使われた単語の意味が違うからなのだけど、一つの単語でもできるだけ複数の意味も書いてはいるんだが覚えきれていないからなのだ。

例えばoblivionという単語がある。動画を見て書いた言葉で、この時の意味は大赦という意味合いで出てきたので、それを書いた。昨日同じ言葉を別の所で見て、前に書いたことを忘れまたノートに書いた。でもここでの意味は人事不省だった。

一つの英単語に複数の日本語があてはまり、使われる場面場面で違った意味になる。
だけど同じ英単語なのだよね。

何でそんなことになるんだろう、ってなんとなく思っていた。

もしかしたら・・・・きっちりとした言葉にしてしまっているのが間違いなのではないのかな?
翻訳をするときはきちんとした語にするけど、会話(映画のセリフでも同じ)などを聞くときはイメージから推測する方が良いんじゃないのかな?

先のoblivionなら根幹的イメージは「忘れる」ということなんだろう。それを刑法的にいうと大赦なり恩赦という言葉になり、人の身に当てはめると意識が忘れられてしまい人事不省、あるいは意識不明となる。それが記憶なら忘却。という具合に忘れるという言葉をどこに当てはめるかによって日本語が変わってくる。

まずはその単語のもつイメージ的意味を理解すること。その次にそれを適切な言葉に置き換えるための日本語力が必要となる。それは翻訳の世界だけに限らず、英語全般に言えることなのだ。なんとなくそう思ってたけど、改めてそう思い直した。
つまり、なんというか、硬い頭できっちりと一対一対応で日本語にするのではなく、まずイメージを知り、それを柔軟な頭で当てはまる日本語を探していく。というのが本来の翻訳や英語の理解の仕方ではないのかなと思い直したのだった。

英単語のイメージを適切な日本語に当てはめるって、まるでクイズか頭の体操だねえ。老化防止にも役に立つかもしれないなあ。あはは^^;
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