ちりぬるをわか
日々のちょっとした事。で、いろんなことがあったりなかったり。

古いことわざに「鞠は九損一徳」というのがあるそうだ。
鞠というのは蹴鞠の事を指しているらしいが、そういった遊びや芸事は、10の内、9が損で1が得(徳)という意味。
それは今で言う趣味の類になるのだろうけど、趣味でやってることって10のうち9が損、というか世間的には大した意味が無いことが多いと読み替えてみる。
趣味にお金を使う、時間を使う、それは損なのかもしれない。実利がないという意味ではあれこれと出ていくものばかりだが、そんな趣味でも一つくらいは何か得になることもあるということも言えるのかな。
こう考えると、昔のオタクというのはこの一徳なのかもしれない。
今のオタクはどうなのかしらないけど、オタクという言葉が出始めた頃は、ある物事に関して専門的な知識を有する人という意味合いもあったのにね。いつの間にか、単に見下す言葉に変わってしまったような気がする。
まあ、そんなことはさて置いて、専門的な方面に知識や通じているというのは古来あった話で、芭蕉も俳諧のことだけをやっていて他のことは知らないよ、と言っていた。もっとも、この道一筋というのは、それに関わる森羅万象の世界が含まれているので、単に狭い視野の一筋ではないのは当然。
今の時代って、サブカルチャーとか言われるように、あらゆるものが細分化して、細分すればするほどそこにいる人達も視野が狭くなって、一筋が細い細い一本の蜘蛛の糸のようになってしまったのだろうなあ。
九損一徳から少しずれてしまったが、一徳をどこに見出すか、それはその人にしかわからないことではある。個人として何が大切なのか。何に価値を見出すのか。何に徳を見つけるのか。
そういうのは、趣味だけじゃなくて、きっといろんな所に通じていることでもあるのだと思ったりする。
どんな物事にも九損を見るよりも、一つ徳を見つける人でありたいと思う。
鞠というのは蹴鞠の事を指しているらしいが、そういった遊びや芸事は、10の内、9が損で1が得(徳)という意味。
それは今で言う趣味の類になるのだろうけど、趣味でやってることって10のうち9が損、というか世間的には大した意味が無いことが多いと読み替えてみる。
趣味にお金を使う、時間を使う、それは損なのかもしれない。実利がないという意味ではあれこれと出ていくものばかりだが、そんな趣味でも一つくらいは何か得になることもあるということも言えるのかな。
こう考えると、昔のオタクというのはこの一徳なのかもしれない。
今のオタクはどうなのかしらないけど、オタクという言葉が出始めた頃は、ある物事に関して専門的な知識を有する人という意味合いもあったのにね。いつの間にか、単に見下す言葉に変わってしまったような気がする。
まあ、そんなことはさて置いて、専門的な方面に知識や通じているというのは古来あった話で、芭蕉も俳諧のことだけをやっていて他のことは知らないよ、と言っていた。もっとも、この道一筋というのは、それに関わる森羅万象の世界が含まれているので、単に狭い視野の一筋ではないのは当然。
今の時代って、サブカルチャーとか言われるように、あらゆるものが細分化して、細分すればするほどそこにいる人達も視野が狭くなって、一筋が細い細い一本の蜘蛛の糸のようになってしまったのだろうなあ。
九損一徳から少しずれてしまったが、一徳をどこに見出すか、それはその人にしかわからないことではある。個人として何が大切なのか。何に価値を見出すのか。何に徳を見つけるのか。
そういうのは、趣味だけじゃなくて、きっといろんな所に通じていることでもあるのだと思ったりする。
どんな物事にも九損を見るよりも、一つ徳を見つける人でありたいと思う。
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