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ちりぬるをわか

日々のちょっとした事。で、いろんなことがあったりなかったり。

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江戸時代の硬貨で、流通硬貨としては江戸時代以降明治、大正までも使えたという。
鋳造で作られる主に銅製の通貨で、今の10円玉みたいなもんだと思っていればいい。
ただし、今のように一つの製造場所で大きさなどに基準が有ったわけでもなく、ある程度の大きさと寛永通宝という銘が入れば、鋳造する地域でとれた銅を使うことが最低のルールだったようだ。

なので、鋳造のもとになる雛形も、壊れたらまた新しいものを造って使うという事の繰り返しで、それぞれに微尿な違いが出てくる。
鋳造ミスも多かっただろうというのは、今残っている寛永通宝を何枚か見ればすぐ判ることだ。
まして、鋳造場所も幕府公認だけでも十数ヶ所、その他藩内で使うために似たような通貨を作ったりもしていたので、限りない数が作られたそうだ。
一説には何十億枚もが作られとか。
それでも、その通貨製造場所や製造枚数などで希少性が言われ、値段が付けられる。

そういった古いお金のコレクターもたくさんいる。
そういう人たちは古銭という字面が今ひとつなので古泉と表すのだとか。
(そういう古銭業界の事は泉界というらしい、なんだかきれい過ぎないかな(笑)
だけど、大半はほとんど値段も付けられないような雑銭なのだそうだ。

今、手元にある、寛永通宝は、ほぼ全てが一枚10円になるかならないかの雑銭のようだ。
でも中に、鋳造中の瑕疵品があって、そういう品は、当時の人の事を考えさせてくれる。
なので、それに価値があるのかどうかよりも、そういった人の手を経たというだけで十分に楽しませてくれている。

それだけで十分だと思う。

でも当時(江戸時代)の人々の暮らしの中では、寛永通宝は通貨であり、通貨以下でもあり、通貨以上でもあったという事も分かってきた。
お守りにしたりお祈りに使ったり、遊び道具や賭け事の道具にしたりと、さまざまなことに使われていたというのを、寛永通宝の事を調べるなかで知った。
そういうのを教えてくれるというのは、十分の上に更に十二分あったりして、色々なことを知るのは本当に楽しい^^。
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