ちりぬるをわか
日々のちょっとした事。で、いろんなことがあったりなかったり。

少しずつ貯めて90枚程集まった。
こういうコレクションって何が面白いのか、と思っていたが
寛永通宝の場合は作られた時代、場所などで字や大きさが少しずつ違っていて
それらを調べて楽しむというのもあるらしい。
というか、今それちょこちょことやっている。
分かりやすいものはいいのだけど、似たようなものばかりが残ってくる。
それが何なのかわからないのが捨て置けないので
2つ3つ手元において眺め比べて、違いを探すのがまるでまちがい探しのよう。
小さなルーペを持って少しずつ見ていくのだけど
どれもこれも同じに見えてきて、もうすっかり頭が混乱する(笑)。
このコレクションは近眼老眼にやさしくないのであまり時間をかけられない。
なので、これ以上増やす事はしないでおこう、とは思ってる。
今、一番お気に入りなのは、レアなもの、
というか偶然の産物で、前にも書いたが、鋳造中の瑕疵品。
これはひと目で判別がつくからなのだな(笑)。
後は調べるのに気がすんだら折をみて、
小分けにしてオークションに出してしまってもいいかなと思う。
壊れているものもあるので、数十枚は値が無いのと同じだが、
オークションに出せそうなのは一枚2,30円で売れそうだし、少しは戻ってくるだろう。
こういうコレクションって何が面白いのか、と思っていたが
寛永通宝の場合は作られた時代、場所などで字や大きさが少しずつ違っていて
それらを調べて楽しむというのもあるらしい。
というか、今それちょこちょことやっている。
分かりやすいものはいいのだけど、似たようなものばかりが残ってくる。
それが何なのかわからないのが捨て置けないので
2つ3つ手元において眺め比べて、違いを探すのがまるでまちがい探しのよう。
小さなルーペを持って少しずつ見ていくのだけど
どれもこれも同じに見えてきて、もうすっかり頭が混乱する(笑)。
このコレクションは近眼老眼にやさしくないのであまり時間をかけられない。
なので、これ以上増やす事はしないでおこう、とは思ってる。
今、一番お気に入りなのは、レアなもの、
というか偶然の産物で、前にも書いたが、鋳造中の瑕疵品。
これはひと目で判別がつくからなのだな(笑)。
後は調べるのに気がすんだら折をみて、
小分けにしてオークションに出してしまってもいいかなと思う。
壊れているものもあるので、数十枚は値が無いのと同じだが、
オークションに出せそうなのは一枚2,30円で売れそうだし、少しは戻ってくるだろう。
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江戸時代の硬貨で、流通硬貨としては江戸時代以降明治、大正までも使えたという。
鋳造で作られる主に銅製の通貨で、今の10円玉みたいなもんだと思っていればいい。
ただし、今のように一つの製造場所で大きさなどに基準が有ったわけでもなく、ある程度の大きさと寛永通宝という銘が入れば、鋳造する地域でとれた銅を使うことが最低のルールだったようだ。
なので、鋳造のもとになる雛形も、壊れたらまた新しいものを造って使うという事の繰り返しで、それぞれに微尿な違いが出てくる。
鋳造ミスも多かっただろうというのは、今残っている寛永通宝を何枚か見ればすぐ判ることだ。
まして、鋳造場所も幕府公認だけでも十数ヶ所、その他藩内で使うために似たような通貨を作ったりもしていたので、限りない数が作られたそうだ。
一説には何十億枚もが作られとか。
それでも、その通貨製造場所や製造枚数などで希少性が言われ、値段が付けられる。
そういった古いお金のコレクターもたくさんいる。
そういう人たちは古銭という字面が今ひとつなので古泉と表すのだとか。
(そういう古銭業界の事は泉界というらしい、なんだかきれい過ぎないかな(笑)
だけど、大半はほとんど値段も付けられないような雑銭なのだそうだ。
今、手元にある、寛永通宝は、ほぼ全てが一枚10円になるかならないかの雑銭のようだ。
でも中に、鋳造中の瑕疵品があって、そういう品は、当時の人の事を考えさせてくれる。
なので、それに価値があるのかどうかよりも、そういった人の手を経たというだけで十分に楽しませてくれている。
それだけで十分だと思う。
でも当時(江戸時代)の人々の暮らしの中では、寛永通宝は通貨であり、通貨以下でもあり、通貨以上でもあったという事も分かってきた。
お守りにしたりお祈りに使ったり、遊び道具や賭け事の道具にしたりと、さまざまなことに使われていたというのを、寛永通宝の事を調べるなかで知った。
そういうのを教えてくれるというのは、十分の上に更に十二分あったりして、色々なことを知るのは本当に楽しい^^。
鋳造で作られる主に銅製の通貨で、今の10円玉みたいなもんだと思っていればいい。
ただし、今のように一つの製造場所で大きさなどに基準が有ったわけでもなく、ある程度の大きさと寛永通宝という銘が入れば、鋳造する地域でとれた銅を使うことが最低のルールだったようだ。
なので、鋳造のもとになる雛形も、壊れたらまた新しいものを造って使うという事の繰り返しで、それぞれに微尿な違いが出てくる。
鋳造ミスも多かっただろうというのは、今残っている寛永通宝を何枚か見ればすぐ判ることだ。
まして、鋳造場所も幕府公認だけでも十数ヶ所、その他藩内で使うために似たような通貨を作ったりもしていたので、限りない数が作られたそうだ。
一説には何十億枚もが作られとか。
それでも、その通貨製造場所や製造枚数などで希少性が言われ、値段が付けられる。
そういった古いお金のコレクターもたくさんいる。
そういう人たちは古銭という字面が今ひとつなので古泉と表すのだとか。
(そういう古銭業界の事は泉界というらしい、なんだかきれい過ぎないかな(笑)
だけど、大半はほとんど値段も付けられないような雑銭なのだそうだ。
今、手元にある、寛永通宝は、ほぼ全てが一枚10円になるかならないかの雑銭のようだ。
でも中に、鋳造中の瑕疵品があって、そういう品は、当時の人の事を考えさせてくれる。
なので、それに価値があるのかどうかよりも、そういった人の手を経たというだけで十分に楽しませてくれている。
それだけで十分だと思う。
でも当時(江戸時代)の人々の暮らしの中では、寛永通宝は通貨であり、通貨以下でもあり、通貨以上でもあったという事も分かってきた。
お守りにしたりお祈りに使ったり、遊び道具や賭け事の道具にしたりと、さまざまなことに使われていたというのを、寛永通宝の事を調べるなかで知った。
そういうのを教えてくれるというのは、十分の上に更に十二分あったりして、色々なことを知るのは本当に楽しい^^。


アンティークと言ってもいろんな物があって
調べてみると、アンティークにきちんとした定義があるのは、アメリカだけで
製造された時点から100年を経過した手工芸品・工芸品・美術品というのが1934年に通商法の中で決められたというから、これもまた古い(笑)。
だけど一般的には、今よりも前の時代の、今はもう作られていない、あるいは使いものにならないようなものが全てアンティークと呼ばれるような風潮が有る。
欧米では多分古いものは古いと言うだけで、それに価値を見出すのだろうけど
日本では古いものは、命を持って動き出すという、アニミズムのような文化的な根が有るのではないだろうか。
江戸時代には、古くなった物が妖怪になるというような事も言われたりしていたし、
有名なところでは一反木綿なんていう妖怪もその類いだ。
(畑中 恵の書いている若旦那のシリーズなんてのはそれが書かれている)
当時の人がものを長く大切に使っていた証でもあるわけです。
江戸時代にそうなのだから、それ以前もそれ以降も言葉では出てこなくても
記憶のどこかでそういう考え方が隠されているんだろうなって思う。
アンティークの中に、そういうものがあるのかどうかわからないけど
古いものの持つ価値は個人的なものでしかないから、
いわゆる骨董品的価値なんて考えても仕方ないと
オークションのアンティークの品々を眺めて思うのだった。
調べてみると、アンティークにきちんとした定義があるのは、アメリカだけで
製造された時点から100年を経過した手工芸品・工芸品・美術品というのが1934年に通商法の中で決められたというから、これもまた古い(笑)。
だけど一般的には、今よりも前の時代の、今はもう作られていない、あるいは使いものにならないようなものが全てアンティークと呼ばれるような風潮が有る。
欧米では多分古いものは古いと言うだけで、それに価値を見出すのだろうけど
日本では古いものは、命を持って動き出すという、アニミズムのような文化的な根が有るのではないだろうか。
江戸時代には、古くなった物が妖怪になるというような事も言われたりしていたし、
有名なところでは一反木綿なんていう妖怪もその類いだ。
(畑中 恵の書いている若旦那のシリーズなんてのはそれが書かれている)
当時の人がものを長く大切に使っていた証でもあるわけです。
江戸時代にそうなのだから、それ以前もそれ以降も言葉では出てこなくても
記憶のどこかでそういう考え方が隠されているんだろうなって思う。
アンティークの中に、そういうものがあるのかどうかわからないけど
古いものの持つ価値は個人的なものでしかないから、
いわゆる骨董品的価値なんて考えても仕方ないと
オークションのアンティークの品々を眺めて思うのだった。
