ちりぬるをわか
日々のちょっとした事。で、いろんなことがあったりなかったり。

夕方6時過ぎに市から、高齢者避難開始という警報メールが届きました。
これは土砂災害の危険性の有る所だけのようですが、この風雨の中くのも危険だと思える程。
18時半頃には、何年ぶりか(何十年ぶり?)で阪急神戸線などの電車が止まりました。
阪神間の阪急電車が運転見合わせ中。
近所の単線も止まってます。こちらはどうやら倒木かなにかで線路が塞がってる?
という未確認情報ですが・・・
今回の台風はかなりキツイというのを実感中。
明日は更にひどくなるかも。
気をつけて!!
これは土砂災害の危険性の有る所だけのようですが、この風雨の中くのも危険だと思える程。
18時半頃には、何年ぶりか(何十年ぶり?)で阪急神戸線などの電車が止まりました。
阪神間の阪急電車が運転見合わせ中。
近所の単線も止まってます。こちらはどうやら倒木かなにかで線路が塞がってる?
という未確認情報ですが・・・
今回の台風はかなりキツイというのを実感中。
明日は更にひどくなるかも。
気をつけて!!
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先日、英単語を書き写している時に、ふと言葉を思いついた。
risky biskyという語なのだけど、全く意味が分からない。
何処かで聞いたことがあるような・・・という程度だったのでネット検索をしてみた。
辞書に載っていなかったけど、どうやら商品名でそういうものが有るのを発見。
10年ほど前に誰かが考案したティーンエイジャー向けのカードゲームなのだそうだ。
そんな商品のカードゲームが有る事自体、全く知らなかった。
この商品と、思い浮かんだ言葉は関係が無かった。
そのあとどれだけ探しても見つけられずに終わった。
英語の場合、話し言葉で語尾の音が共通する二つの言葉を使うことがある。
いわゆる韻を踏む(ライム)というもので、大体はくだけた話の時につかわれるもので、スラングのようなもの。
この2語risky biskyの場合は、脚韻、語尾韻、終末韻とか言われる類。
リスキービスキーで語尾のスキーという音が同じ(ライムしている)。
英語では詩や歌詞の文末の語尾韻が使われる事が多い。
スカボロー・フェアを例にしてみると
Are you going to Scarborough Fair
Parsley, sage, rosemary and thyme
Remember me to one who lives there
She once was a true love of mine
この中の1行目と3行目の最後の語、フェアーとゼアーが韻を踏んでいる
2行目と4行目の最後の語も最後の母音が同じで、おそらく古語的には同じ語尾韻だったのでは無いかと想像する。
まあ、そんな韻を踏まえて、英語圏の人はこういう音を重ねるのが好きなので、
そんな一つに、りスキービスキーがあったりしないのかな~と思っていた。
でもそんなものは無く、この言葉が記憶のどこにあったのかが謎として残りました。
さて、今日もひんやり。
雨が降り始めそうな曇った朝なのでした。
risky biskyという語なのだけど、全く意味が分からない。
何処かで聞いたことがあるような・・・という程度だったのでネット検索をしてみた。
辞書に載っていなかったけど、どうやら商品名でそういうものが有るのを発見。
10年ほど前に誰かが考案したティーンエイジャー向けのカードゲームなのだそうだ。
そんな商品のカードゲームが有る事自体、全く知らなかった。
この商品と、思い浮かんだ言葉は関係が無かった。
そのあとどれだけ探しても見つけられずに終わった。
英語の場合、話し言葉で語尾の音が共通する二つの言葉を使うことがある。
いわゆる韻を踏む(ライム)というもので、大体はくだけた話の時につかわれるもので、スラングのようなもの。
この2語risky biskyの場合は、脚韻、語尾韻、終末韻とか言われる類。
リスキービスキーで語尾のスキーという音が同じ(ライムしている)。
英語では詩や歌詞の文末の語尾韻が使われる事が多い。
スカボロー・フェアを例にしてみると
Are you going to Scarborough Fair
Parsley, sage, rosemary and thyme
Remember me to one who lives there
She once was a true love of mine
この中の1行目と3行目の最後の語、フェアーとゼアーが韻を踏んでいる
2行目と4行目の最後の語も最後の母音が同じで、おそらく古語的には同じ語尾韻だったのでは無いかと想像する。
まあ、そんな韻を踏まえて、英語圏の人はこういう音を重ねるのが好きなので、
そんな一つに、りスキービスキーがあったりしないのかな~と思っていた。
でもそんなものは無く、この言葉が記憶のどこにあったのかが謎として残りました。
さて、今日もひんやり。
雨が降り始めそうな曇った朝なのでした。


スヌーピーのマンガに出てくるライナスという子がいつも毛布を持ってることから「ライナスの毛布」と呼ばれるものがあります。(ライナスに関してはネットで検索すればたくさん出てきます^^)
何が、特定のものに触れていると安心出来るという幼児の心理を指しています。ライナスの毛布からなのか「安心毛布」と呼ばれたりすることもあるそうですが、毛布だけではなくてぬいぐるみだったりタオルだったり様々な対象があります。
例えば、小さな子供がどこへ行くのにも、いつも同じぬいぐるみを持っていくとか、そういう場面が思い浮かべてればよいかと思います。
これは幼児なら普通にあることで、持っているからダメとか、持ち続けていると成長しないと言うことではありません。
その延長線上で、大人になっても、そういった「触れていると安心するもの」というのはあるものなのです。
そもそも大人も子供も、一人の人間であることには変わりなく、子供が肉体的に成長した姿が大人というだけで、精神的な成長というのがどういう事をさすのかなんて誰にも分からないのです。
確かに、社会的に子供じみた事をしてはいけないのが大人というのはあります。
だからといって子供の時の心、心理が無くなってしまったのではありません。幼児からの積み重ね、学習して社会性を身につけて大人になりますが、自分の中の幼児を無くしてしまうことは出来ません。心の奥に隠しているだけなのです。
よく言われる「過去は変えられない」というのは悪い事、嫌なこと過去にあっても、それにとらわれないで先に向かって生きよう。変えるのなら今、そのことに囚われない未来を、という趣旨だと思います。
でも過去は変えられないというのは、過去の出来事もその人を構成している大事なことなので、今の自分を大事にするためにも過去を否定してはいけない、という意味にもなります。
話が少しズレましたが、過去の一つに、その「安心毛布」があるわけです。
大人になってもその「安心」を求めてぬいぐるみを手元に置く人もたくさんいます。もちろん幼児の時のように持ち歩かなくとも、そこは学習した大人として、我慢が出来るわけですね^^。
ライナスが毛布を持ち歩いているように、大事なのは手触り、触れた感触なのだと思います。
それは毛布や布の柔らかな感触以外でもあり、人によってはすべすべした石を持ってると落ち着く、などもその一つだと思ったりするのです。
なぜこういう事を書くかと言うと、
実は私にも「毛布(ぬいぐるみでもありません)」ではないけれど触れていると満足する「もの」が有るんですね(笑)。それに気がついたのは、かなり年齢を重ねてからの事でしたが、幼児の時からの記憶が今も続いていると証拠だと思っています。^^
何かで心がざわつく時に、触れてるだけで心が少しでも落ち着くものがあるなら、そういう「安心」を一つ持っている人はラッキーなんじゃないのかな?って思ったりもするのです。
残念ながら、私の場合は、年齢的にも社会的にも出来ないのが残念なのですが(笑)。
何が、特定のものに触れていると安心出来るという幼児の心理を指しています。ライナスの毛布からなのか「安心毛布」と呼ばれたりすることもあるそうですが、毛布だけではなくてぬいぐるみだったりタオルだったり様々な対象があります。
例えば、小さな子供がどこへ行くのにも、いつも同じぬいぐるみを持っていくとか、そういう場面が思い浮かべてればよいかと思います。
これは幼児なら普通にあることで、持っているからダメとか、持ち続けていると成長しないと言うことではありません。
その延長線上で、大人になっても、そういった「触れていると安心するもの」というのはあるものなのです。
そもそも大人も子供も、一人の人間であることには変わりなく、子供が肉体的に成長した姿が大人というだけで、精神的な成長というのがどういう事をさすのかなんて誰にも分からないのです。
確かに、社会的に子供じみた事をしてはいけないのが大人というのはあります。
だからといって子供の時の心、心理が無くなってしまったのではありません。幼児からの積み重ね、学習して社会性を身につけて大人になりますが、自分の中の幼児を無くしてしまうことは出来ません。心の奥に隠しているだけなのです。
よく言われる「過去は変えられない」というのは悪い事、嫌なこと過去にあっても、それにとらわれないで先に向かって生きよう。変えるのなら今、そのことに囚われない未来を、という趣旨だと思います。
でも過去は変えられないというのは、過去の出来事もその人を構成している大事なことなので、今の自分を大事にするためにも過去を否定してはいけない、という意味にもなります。
話が少しズレましたが、過去の一つに、その「安心毛布」があるわけです。
大人になってもその「安心」を求めてぬいぐるみを手元に置く人もたくさんいます。もちろん幼児の時のように持ち歩かなくとも、そこは学習した大人として、我慢が出来るわけですね^^。
ライナスが毛布を持ち歩いているように、大事なのは手触り、触れた感触なのだと思います。
それは毛布や布の柔らかな感触以外でもあり、人によってはすべすべした石を持ってると落ち着く、などもその一つだと思ったりするのです。
なぜこういう事を書くかと言うと、
実は私にも「毛布(ぬいぐるみでもありません)」ではないけれど触れていると満足する「もの」が有るんですね(笑)。それに気がついたのは、かなり年齢を重ねてからの事でしたが、幼児の時からの記憶が今も続いていると証拠だと思っています。^^
何かで心がざわつく時に、触れてるだけで心が少しでも落ち着くものがあるなら、そういう「安心」を一つ持っている人はラッキーなんじゃないのかな?って思ったりもするのです。
残念ながら、私の場合は、年齢的にも社会的にも出来ないのが残念なのですが(笑)。
